- 色んなことを一生懸命やっていると、良い出会いがあるんです
- 「感情を音にする」表現力は一生の宝物
- 好きこそ物の上手なれ。ようこそ!ミュージカルへの夢の扉に
- レコーディングエンジニアって、美味しいの?(笑) <<part 1>>
- 馬鹿の1つ覚えだった"ダンスで飯を食う"という夢が実現!「有言実行」夢は叶えるものだと思います。
- 僕を子供のころからずっとワクワクさせてくれた音楽。キミも楽しい音楽生活を!
- 100%サッカー少年に訪れた大きな挫折。僕を救ってくれたのは"音楽"だったんだ。
- 音響・映像学科はスラムダンク?!とりあえず、そっちの方向へ行ってみる
- ゴスペルクワイヤーとのセッションは、通い合う高揚感と一体感で強烈に音楽の力を感じ、さらに音楽のとりこになった!
- ライフワークのBig Bandを書くことが何よりも楽しい!"音楽"こんな楽しいことはやめられない!!
普段はみられない先生の別の顔を発見!
色んなことを一生懸命やっていると、良い出会いがあるんです

こんにちは!ダンス学科講師の佐々木典子です。
まずは私の生い立ち.・・・と言っても、特別ドラマティックな人生をおくってきたわけでもないので簡単に。
滋賀県で生まれ、その後親の仕事の関係で京都、大阪へと移り住んだので、正真正銘の関西人です。けれど、こちらで出会った人たちには、自分から明かさない限り関西人だと気づいてもらえません。
私が関西弁で話さないからでしょうが、少し悲しいです。相手が関西人じゃないと、関西弁で話すのは難しいんです!
幼少期にクラシックバレエを習い始め、(母親に習わされたのですが)大学卒業までは、塾にも行かず、部活にも入らず、バレエ一筋で青春期を過ごして参りました。そのせいか、学校帰りにお友達と遊びに行ったなんて記憶がほとんどありません。
そんな生活、楽しいの?と思われるかもしれませんが、楽しかったんです!めっちゃくちゃ楽しかったんです!!
その辺については、また後ほど。
大学を卒業後、一念発起して上京。アルバイトをしながら、前々から興味があったジャズダンス等の稽古にも励み、色々な舞台やお仕事で知り合った方々を通じて、今この尚美ミュージックカレッジで講師をしています。

私の趣味・・・これも、取り立てて人に言えるような物ってないんですよね・・・。
この文章を考えながら、つくづく自分って何の面白味もない人間だな~と思うんですが、当の本人は、毎日めちゃめちゃ楽しく暮らしているので、まぁ、これでいっかぁ・・・と、思います。
趣味と言えるほどの物はないので、私の好きなこと。
1つ目は読書。小説が好きです。但し、恋愛小説的なものは除く。
外国の作家も、日本の作家も読みますが、不思議なことに男性作家の作品ばかり読んでます。
2つ目は音楽を聴くこと。
中学生のころ、ちょうど世の中はバンドブームで、それまでは周りの子たちが明菜ちゃんだ、マッチだ、(年齢がバレてしまいます・・・)と騒いでいても、全くと言っていいほど音楽に関心がなかったのに、ある日突然、とあるロックバンドに一目惚れしました。
そこから、私のロック少女としての人生が始まりました。
毎日、学校が終わってダッシュで家に帰り、バレエのレッスンに出かける道中で、音楽情報誌を立ち読みし、寝る前には必ず深夜まで音楽を聴く・・・。かなりマニアックなバンドのことまで知っていて、はっきり言ってオタクでした。
そんな生活を続けるうち、ビートルズや、オールディーズ(1950~60年代の音楽)も聴くようになり、そういう曲ばかりを生演奏するお店に出入りするようになり、大人になった今でも、そんなお店でお酒を飲みながらツイストを踊る・・・のが趣味です。

あ!趣味があった!
3つ目は、好きなことというか技というか・・・ぼーっとすること・・・です。とにかく、ぼーっと。寝ているわけではありません。何も考えてないわけでもありません。いろいろ考えてはいるんですが、とにかく、ぼーっと。
たぶん、誰にでもあることなんだとは思いますが、一日のうちに、そういう時間が必ずあります。
お休みの日に朝起きてソファーに座ってぼーっとしだして、気がついたらもう陽が落ちて外が暗くなってたこともあります。
そういう、放電する時間みたいなものが、必要なんですかね。
でもこれは、恥ずかしいのであまり人には言えない、内緒の趣味です。
ダンスについて。
そう、これが本業なのに、ずいぶん余計な話をしてしまいました。
先に書きましたが、学生時代は、毎日レッスンで遊ぶ間もなく忙しい生活でしたが、とても楽しい充実した日々でした。
もちろん、バレエのレッスンも楽しかったんですが、学校が楽しかったんです。友達とおしゃべりするのも楽しいし、授業を受けるのも楽しい。新しい何かを知ることが楽しかったんですね。もちろん、テストや受験のときは、人並みに大変な思いはしましたが・・・なぜ楽しかったか。きっとそれは、それぞれのことに、その時の自分にできる限り、一生懸命に取り組んでいたからだと思います。
レッスンでは、先生に怒鳴られながら歯を喰いしばって頑張って、帰りの電車でわんわん泣き、学校では、毎日腹筋がちぎれて顎が外れるんじゃないかと思うほど笑い転げ、授業は、最前列のど真ん中の席を陣取り、先生の唾をよけながら話を聞いていたからだと思います。
色んなことを一生懸命やっていると、良い出会いがあります。
それは、人であったり、物であったり、ことがらであったり。
そしてそれらは、気づかないうちに色んなこととリンクして、また新たな出会いを生み出します。
そんな素敵な出会いが重なって、今の私があります。
私はダンス学科で、クラシックバレエとジャズダンスの講師をさせていただいていますが、ダンスにも同じことが言えると思います。
多くの学生は、バレエに対して初めは消極的です。やったことないし、小難しいし。当たり前だと思います。そりゃあ、なんか身体が動かせる、HIPHOP の方が楽しいに決まってるんです。私だってそうです。でも、ジャズダンスや、他のジャンルのダンスをやってみて改めて思うのは"全てにおいて、共通するものがあるんだな"ということです。
同じ人間の身体を使って動くんだから、当たり前のことではあるんですが。
だから、たとえジャンルは違っても、それぞれ真剣に取り組めば身体の中で色んなことがリンクして素敵な出会いがあるに違いない!と、思います。
つながるバレエ、つながるジャズダンス・・・そんな授業を心がけています。
あ、ダンスについて、というより、授業についてになってしまいました・・・。
文章だと、どうも堅くなってしまって・・・。
これを読んでも私という人間がどんな人間なのかは、とても分かりづらいと思います。
ごめんなさい!
でも最後に!
私の願いは、世の中のすべての人が幸せになることです。
でも、私一人の力で世界中の人を幸せにするのは正直無理なので、私と時を共に過ごす人が、私の踊りを見た人が少しでもHappyを感じてくれたら、と思っています。
プロフィール
佐々木典子
ダンス学科講師
4才よりクラシックバレエを始める。『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『パキータ』『カルミナ・ブラーナ』等の公演に出演。ジャズダンスを習得後、『ロマンス』(ドラマ)、『女王の教室』(ドラマ)、東京プリン(PV)などに出演。シアタープロジェクト☆アポロ(劇団)、PLASTIC JAM(劇団)、氣志團2005全国ツアーなどの振付を手がける。現在、パフォーマンス・グループ「MELANGER」にて活動中。
「感情を音にする」表現力は一生の宝物
こんにちは。
SHOBIアレンジ・作曲学科で講師をしています。
小松真理です。
長崎県産です。
音楽との出会いは3歳くらい。
素晴らしい指導者と出会えたおかげで、物心がついた頃には、ピアノを弾いて、曲らしきものを書いていた様です。
記憶は無いのですが、幼稚園の頃、曲日記を付けていたらしく、正しく書けていない平仮名の題名などと共に、毎日1ページ分作っていたみたいです。
音感や楽典、聞き取る力など、音楽基礎力の全てを幼少期にいただきました。
何よりも感謝しているのは、「感情を音にする」表現力を付けていただいた事です。
その後も多くの先生との出会いがあり、現在、SHOBIで教えているのも、小学校の頃、作曲指導でお世話になった徳備康純先生とのご縁で導いていただきました。
恩師への感謝は、語り尽くせないものがあり、今でも公私共にお世話になっています。先生に出会えて本当に良かった♪
後に、高校、大学通しての師匠となる佐藤眞先生の進めもあり、高校受験をし、東京へ上京して来ました。
附属での三年間は、音楽に特化したカリキュラムや、同じ道を志す仲間との生活など、初めての事が多く、とても有意義な時間でした。
高校くらいから、作曲や演奏の仕事を始め、
テレビで曲が使われて感動したり(T T)
ブライダルで演奏して幸せな空間に感動したり(T T)
受験生らしくない、合格後も大学生らしくない、
高校大学生活を送っておりました。
作曲の活動は、どうしてもこもりがちになる為、演奏で外に出られるのがとても良い気分転換になっています。
「ピアノ」という楽器が大好きです。
デザインも音も。
今まで弾いた中で、一番印象に残ったピアノは紀尾井ホールのピアノです。
いいピアノは、表現したい事の全てに付いて来てくれる感じがして、気分よく弾けるのが好きです。
SHOBI での先生達との出会いが、皆さんの音楽人生のよい先導となりますように!!
プロフィール
小松真理
アレンジ・作曲学科/音楽総合アカデミー学科講師
長崎県生まれ。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校作曲科を経て、東京藝術大学音楽学部作曲科卒。
ピアノを、草野幸子、重松聡、外山準の各氏に、作曲を中田直宏、佐藤眞の各氏に師事。
99年にCARTOON NETWORKのCMで、CATV CM大賞inU.S.A受賞。映画、TVなどの音楽を手がけ、NHKハイビジョン「白洲正子の世界」音楽担当。その他、博物館、資料館等、常設展の音楽も制作。著書に「たのしくおぼえるけんばんわせい」など。
好きこそ物の上手なれ。ようこそ!ミュージカルへの夢の扉に

こんにちは。
SHOBI ミュージカル学科でミュージカル演習を担当している野口アキラです!
■ようこそ!
ミュージカルへの夢の扉に
私がミュージカルの舞台に携わる事が出来たのは二十歳を過ぎてからです。
■ミュージカルへの足掛かり
友人の誘いでレビューのオーディションを受け「日劇ダンシングチーム」(東宝演劇部所属)の団員として入団。

東京の下町(浅草)で育った私の周りには様々な稽古事(けいこごと)が出来る環境でしたので、自然と芸事に関わる事が当然のように思われていました。
しかしそんな私は運動嫌い、対人赤面症、引っ込み思案など・・・将来私が舞台に携わる仕事をすると誰が想像出来たでしょう?
■好きだった音楽の授業
中学生時代、音楽の先生の依頼で月に一度朝礼で吹奏楽部の演奏をバックに一人で歌を歌わされました。歌は好きだったのですが、上がり症で恥ずかしがりやの私は楽譜で顔を隠す様な状態でしか人前で歌えませんでした。
中学卒業を間近に音楽の先生の推薦で「ウィーン少年合唱団」の入学を両親に薦めて下さいましたが、両親は大反対!
経済的な理由もありましたが・・・。(音楽の成績だけは良かったので・・・笑)

高校への進学は音楽の勉強が出来る普通科に進学を希望していたのですが、両親の強い意向で仕方なく商業高校へ。
歌のレッスンは「二期会オペラ」所属の先生を紹介して頂き続ける事となりました。後にこの歌のレッスンを続けていた事の重大さに気が付く事となるのです。
■石の上にも三年
レビューの世界で取り敢えず3年間ダンスをマスターしようと決意。身体は硬い、リズム感無し、動作は鈍い・・・いやいや大変な事をする事になったと思いました。(笑)
でもチャンスは思っていたより早くやって来ました。
1年目の春に大舞台でソロ(歌)を団員内オーディションで獲得。翌年の春にはシャンソン界の大御所の急遽代役。

ミュージカルナンバーのダンスシーンより
こうした貴重な経験もさせて頂き、4年目に東宝ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の欠員(1名)オーディションを受けるチャンスに恵まれ、この出演をきっかけに東宝ミュージカルの様々な作品に出演させて頂きました。
何も出来なかった私は「我慢して頑張り続けて良かった!」と心底感じ思いました。
それは"歌えるダンサー"の欠員募集だったのです。そして何より歌のレッスンを続けていて良かったと実感したのです。
当時のレビュー界では珍しく、既にミュージカルの発展を見越して団員は歌・演技の授業等もありました。
この事も大いに役立ち、成長させてくれました。

江古田のライブハウス"バディー"にて
ミュージカルに必須でもある歌・ダンス・演技はこうして私の出発点でもあるレビュー時代に培われたのです。
レビュー界出身、ダンスのインストラクター等の経験もあり、イメージ的には「野口アキラ=ダンサー」と言うイメージで受け止められていましたが、自分では常に「ミュージカルアクター」としての自覚を持って仕事をしていました。
15年目に退団しフリーとなり、個人的な仕事も可能になりました。
その一つがライブコンサート活動です。
コンサートではミュージカルナンバーをはじめ、シャンソン・ジャズ等、様々なジャンルの歌を通して感じたのは、表現力の豊かさの重みです。
これはダンスにも演技にも重要な事柄です。
■超えられる壁
ミュージカルを学ぶためには体力的も精神的にも大変な労力が必要です。
「もう無理」「限界」「出来るわけない!」
いったい誰が決めるのかな?何処に見えるものなの?っていつも思います。
誰にでも得て不得手はあるものです。
私自身も前述した様に何も出来ませんでした。でもそれを理由にするのは止めましょう。
先ずは「はじめの一歩」を踏み出してみませんか?
私がそうであったように。「好きこそ物の上手なれ」です。

キミの夢の扉は、キミにしか開ける事が出来ないのです。
夢は実現させる為にあるのですから。
その手助けをしてあげる事は出来るかもしれません。
さあ!
まずはSHOBI ミュージカル学科で体験レッスンを受けてみませんか?
夢の扉の向こうには何が見えるでしょう。
今から楽しみですね!!!
プロフィール
野口 アキラ
ミュージカル学科専任講師
東宝株式会社演劇部所属日劇ダンシングチームの正団員としてレビュー界へデビュー。その後東宝ミュージカル、宮本亜門演出作品等多数のミュージカル作品に出演する傍らACT・DanceStudioのメインインストラクター、日本女子大学等のミュージカルサークル、小劇団等の顧問や指導にあたる。公立高校での専攻科目の授業も担当。ソロヴォーカリストとして渋谷ジャンジャン等でのコンサートも開催するなど、幅広い分野でその才能をフルに発揮している。
レコーディングエンジニアって、美味しいの?(笑) <<part 1>>

皆さん初めまして!
音響・映像学科でレコーディングの授業を担当しています、レコーディングエンジニアの佐藤清志です。
■レコーディングエンジニアって、美味しいの?
突然ですが、みなさんは、レコーディングエンジニアって、どんな職業なのか、どんな人が?(笑)エンジニアなのか知ってますか?
このタイトル、ギャグなのか違うのか、音楽に全くと言って良いほど興味が無い、地元関西の友達の口から本当に出て来た言葉です(笑)
多分、名前くらいは聞いた事があっても、これから音響の世界を目指そうとしてる人達のほとんどの人が詳しくは知らないと思います。
ライブ会場のど真ん中で大きな機材を操り、ステージ上にいるアーティストのパフォーマンスを表現し、大きなスピーカーから音を出し、会場にいる観客である皆さんに感動を届けてくれている人達。(あくまでも簡単な説明です)
PAエンジニアと言いますが、ライブによく行く人は彼らを目の当たりにする機会がまだある方だと思うのですが、レコーディングエンジニアはそうはいきません!(笑)

何故なら基本的にレコーディングスタジオという音を録音する為に作られた閉鎖された空間?で作業を行う事がほとんどなので、みなさんが見かける機会はほとんど無いと思います。
それぐらい人目につかない、裏方の職業なんです。(笑)
ここではそんな職業の僕が、未だ謎の多いレコーディングエンジニアという職業について、
あくまでも主観的にお話ししてみたいと思います!

レコーディングスタジオ
■レコーディングエンジニアッテ?
非常に説明が難しいのですが、僕が音楽に疎い両親に説明した時の言葉を使うと
「音を録音する人」です。以上。(笑)
未だに両親はわかっていないようです・・・。
ちなみに皆さんはCDのジャケット、どこまで細かく見てますか?
ジャケットの最後の方に「Recording Engineer」とか「Recorded by~」とか、「Mixed by~」とか書かれてる箇所を見たことはありますか?
無い人は今すぐお気に入りのCDのジャケットの最後の方を見てみてください!(注:曲ごとに書かれている場合もあります)
見つけられましたか?
ズバリその人です。(笑)
って言っても、当然さ~っぱりわかりませんよね?

コンソール
■「楽曲をカタチ」にする人
ここからはもう少し具体的に、CDの制作行程も少しだけ交えながらお話ししてみます。
さて、もの凄く大まかに言いますと、皆さんが普段聴いているCDに入っている「楽曲」というのは作曲する人、アレンジ(編曲)する人だけでは出来ません。作曲者が作曲した曲(一般的に楽器を使う人が多いようですが、人によっては鼻歌で作る人もいるんですよ!)を、例えばその鼻歌(メロディー)を活かしてアレンジャー(編曲者)がアレンジして実際の楽曲に仕上げていきます。
その際に色んな楽器を演奏したり、アーティストが歌を歌ったりするのですが、それを写真にあるようなコンソール(音を調整する機械)、レコーダー(録音する機械、テープレコーダーやProtoolsなど)やマイクなどの様々な機材を使って「録音」し、「楽曲をカタチ」にする人。
それがレコーディングエンジニアです。
■作曲者やアレンジャーさんが頭に描いている音をつくる
さらに、レコーディングエンジニアはその「録音」をした数々の音を「MIX DOWN」という作業で「音のバランスを整える」作業をします。
何故整えるかといいますと、作曲者やアレンジャーさんが頭に描く絵の中には一つの音だけが鳴っているのではなく、色んな音が混ざって一緒に鳴ってるのです。

レコーディング現場
それらの音を作曲者やアレンジャーさんと話し合いながらレコーディングエンジニアが音の知識や機材を使って、作曲者やアレンジャーさんの求めている音にしてレコーダー等に録音していきます。
多い時は40以上もの音を録音したりもします。
それらがみんな同じ音量でスピーカから一度に出てくるとただガチャガチャとうるさいだけで、どんな音がどこから聞こえてくるかが全然わかりません!
それを聴こえやすいように「あの楽器は小さくして」「この楽器は大きくしよう」「あの楽器は左から聴こえるように」「この楽器はちょっと右から聴こえるように」「この楽器をもう少し固い音に」などなど「音のバランスをとる」という作業を行います。
これが「MIX DOWN」という作業なのです。

これらがレコーディングエンジニアの「主な」仕事です。
もちろん、も~っともっと奥が深い仕事なのですが、書いていくと読み終わるのに数時間かかってしまうような内容になってしまうので、簡単に書かせてもらいました!
今回はここまで!(笑)
(注:以上の内容はあくまでも主観や、周りの人達に聞いた内容です)
この説明の中でわからない言葉とか、ありましたか?
もっと詳しく知りたい人は、ぜひSHOBI オープンカレッジへ遊びに来て質問してくださいね!
実は佐藤先生もSHOBI の卒業生!
今のお仕事に就くまでの秘話はpart2でチェック!>>
馬鹿の1つ覚えだった"ダンスで飯を食う"という夢が実現!「有言実行」夢は叶えるものだと思います。

ども~~♪
ダンス学科でストリートダンスを教えているHIDEです☆
突然すぎる登場なので、まずは自己紹介から(^^)d 1978年、父 吉男、母 光子から何となく産まれてみました!
いっぱい夜泣きをしてそれなりにお漏らしもしてすくすく成長!現在に至る……(^^;
こんな感じ!?ってどーかと思いますが…まー簡単に言えば最新携帯みたいな感じです!!
読者の皆さん分かりますかこの意味?
……
……軽くて薄っぺらい奴って事ですf(^^;(笑)
と、楽しい感じでDance is lifeを送っています♪

そろそろ真面目な自己紹介で…
幼少期の記憶は薄いですが80年代前半にマイケル・ジャクソンのPVや風見シンゴの『涙のテイカチャンス』でブレイクダンスを初めて見て…取り合えず真似をしてました♪
練習場所は保育所の渡り廊下(>_なぜ、そんな場所を選んだのか当時の自分のセンスを疑ってしまいますが…ダンス初体験です♪
でも、ダンスが出来る環境を知る事もなく野球少年に…ごくごく普通の少年でした(^_^)
中学1、2年生辺りから深夜、ダンス番組が始まりビデオにダビングして見始めたりで再度ダンスに興味を持ち始める♪
・・・ってか、周りの友達と違うことして女の子にモテたかったのが正直なところです(;^_^A
そんなこんなでビデオを見ながら練習したり、聞く音楽がHIP-HOPになったり…ダンス中心に。
中学を卒業する頃は、『ダンスで飯を食う』と、根拠も実力も無いのに友達に言ってました。
その当時はダンサーになるって思ってばかりで、何をしたらいいかも分からず、とにかく大口叩いてダンスばかりしてました♪
高校3年間はダンス中心に送ってました。

そんな生活でTV番組のレギュラー出演。
それが初めての仕事・・・ダンサーとしてお金を初めてもらいましたv(^o^)
今では少々恥ずかしい仕事ですが「サブSMAP隊」という感じでSMAPメンバーのお面を被りダンスをしていましたf(^^;
それ以降は色々なお仕事に恵まれ未だにダンスを仕事にしています♪
馬鹿の1つ覚えだったものが夢実現☆
有言実行、夢は叶えるものだと今でもつくづく思います☆
ダンスの事ばかりで飽きてきたと思うので趣味について…(^^)d
薄っぺらい30代(・。・;
未婚なので自由気ままにバイクでのツーリング!
本当に気持ち良くて最高です!(夏場だけね)
そして学科長の武井先生と同じで釣り(^。^)
自分は川ですがこれも気持ち良くて無心になれる!自分、休みの日は川にいます(笑)
ブラックバス、ナマズ、鯉。何でも釣ってます(^^)d
興味あることに夢中v(^o^)大人になれない大人なんです(>_



でもダンスだけは真面目。
これだけは本当に(^。^)
ではでは、夢を叶えるSHOBI で会いましょう♪

プロフィール
HIDE(槙 英昌)
ダンス学科講師
ビリークロフォード、trf、安室奈美恵、GTS等のバックダンサー。FIFA WORLD CUP フロントアクトダンサー。NIKEファッションショーダンサー。SMAP、w-inds、ツアーダンサー。吉本興業主催のお笑いLiveでの一部、演出、構成、出演。その他TV、PVなどにも多数出演する。2007年avex公演にて演出・振付・出演。現在、パフォーマンス・グループ「MELANGER」を結成し、活動中。
僕を子供のころからずっとワクワクさせてくれた音楽。キミも楽しい音楽生活を!

どうも!ヴォーカル学科で講師をやらせて頂いてます。
福冨英明です。
シンガーソングライターです。
職務質問されると「歌手です」と答えてます。すると「ああ、自由業ね」と言われます。
さて今日は僕がワクワクした音楽のあれこれをお送りします。
子供の頃から歌うことが好きだったんですが、最初に感動というか刷り込まれたのが「サブちゃんこと北島三郎さん」。親父がはまってました。親父は仕事場で一番歌がうまいと自負してましたから、家でもちょっと気分がいいと歌っておりました。親父の歌はともかく車の中のカーステでリピートされる「帰ろかな」が良かったなあ。「淋しくって言うんじゃないが帰ろかなあ。」泣かせますサブちゃん!
歌詞の本当の意味はわかってなかったと思いますが、子供心に何かを感じてました。
そしてもうひとり忘れてはいけない八代亜紀さん!今聞いてもいいっす。
ちなみに僕は演歌歌手ではないです。
話は変わりまして、小学生の頃近所に大きな家に住んでる大学院生のお兄さんがいて、よく遊んでもらいました。彼の家で聞いたのが「カーペンターズと井上陽水」。

カーペンターズは、その頃見ていたアメリカのホームドラマ「奥様は魔女」とリンクして僕に夢を見させてくれました。
その頃の僕の夢は
「大きくなったらアメリカ人になる」
アメリカ人になったら車を2台持って玄関入ると螺旋階段があるプール付きの家に住むと友達に言ってました。「今日から福ちゃんじゃなくてトミーって呼んでよ。」バカでした。
そして陽水!衝撃的でした。「氷の世界」!なんか今までの音楽と全然違う!「窓の外ではリンゴ売り~声を嗄らしてリンゴ売り~きっと誰かがふざけてリンゴ売りの真似をしているだけなんだろ~」そんな人いません。人生は思い通りにはいかないのかもしれないとぼんやり感じました。今聞いても素晴らしい。
ついに中学生です。ビートルズです。聞き漁りました。
全曲聞きたいと思った最初のアーティストです。
ポールが牛乳好きだから僕も今日から牛乳を飲もうってな感じです。ファンです。確かにカレンカーペンターと結婚したいと思ってましたが、これほどのめり込んではなかったです。
ビートルズを聞いてたら幸せ。家に帰ってレコードに針を落とす瞬間が待ち遠しかったなあ。
ところで僕は広島出身です。
その当時はレコードを扱ってる電器屋さんが結構あって僕も近所の電器屋さんで買ってました。
そこの女主人のお薦めを買うのが常だったのですが、彼女の殺し文句が
「これが今東京で流行ってる。」
東京・・・。間違いない。

ある日彼女が言いました。
「福冨君グラミー賞って知ってる?」
知りません。
「グラミー賞っていうのはねアメリカで出た一番素晴らしいレコードに送られる賞で今年はスティービーワンダーって人が賞を独占したのよ。」
アメリカで一番・・・。買うでしょう。4,000円。お金が足りないでしょう。
家に帰り再度登場。
そしてゲットしたのがSTEVIE WONDERのKEY OF LIFE!
前述の通りその頃はビートルズを聞いてました。ポップでキャッチーです。例外はありますが(HEY JUDE)、曲も短くて大体3分位です。期待に胸をふくらませて針を落としました。
1曲目。7分6秒。全く一緒に歌えない。最後の方とか延々と繰り返しててよくわからない。頭の中で「外したか。」と囁き声が。
気を取り直して次の曲、やはりわからない。
次い!教会音楽?
次いい!!歌が無い?
何だよこりゃあ、ハズシタアアアア!
しかし買ったからには気に入らなければなりません。意地になって聞きました。
するとISN'T SHE LOVELY~。やっとピン来ました。そして気がついたらドップリはまってました。

野球部で坊主頭だったのですが、
「いつかアフロヘアーにしたい。黒人になりたい」
形から入るタイプ。
いいんじゃないの。
プロになりたいと思って試行錯誤していた時に気付きました。
かなりこの頃の影響って大きいなぁと。
でカーペンターズの曲を書いてる人達、キャロルキング、ロジャーニコルス、バートバカラックを聞き漁り、スティービーの曲作りもそっくり真似したりして楽曲作りに精を出しました。
自分が感動したモノをしっかり噛み締めると自分の音楽にじわっと広がっていきますよ。
楽しい音楽生活を!
ひとにやさしくじぶんにやきにく。
福冨英明でした!

プロフィール
福冨英明
ヴォーカル学科/音楽総合アカデミー学科講師
1996年デビュー。メディアレモラスからマキシシングル「12 inchmemories」、アルバム「MEET」などを発表する。ライブ活動を中心に、ラジオ出演、 インターネットでの楽曲・ビデオ公開など、聞き手に一番近いフィールドでの活動に重点を置くことをモットーに邁進中である。最新作は2003年発表のアルバム「MELODIES OF HOPE」
100%サッカー少年に訪れた大きな挫折。僕を救ってくれたのは"音楽"だったんだ。

こんにちは作曲学科の市川です。
歌ものPOPS~ROCKが得意です。
今日はちょっと昔の話をしますね。
僕の少年時代はね、ほとんどの同僚の先生方とは少し違っているんだ。
『100%サッカー少年』だったんだ。
マジでサッカーに捧げてたんだよねー。
中学高校時代をさ。
なのでまず、サッカーとの出会いを少し・・・。
小学校の昼休み、男の子たちは校庭でサッカー。
小学生のサッカーだから、ポジションもなにも無くてみんなでワーってボールに群がってく感じ。

僕はガキ大将キャラでは無かったし、いつもリレーの選手に選ばれるような活発な子でもなかった・・・。ガリ勉もやし君でもないけど、まぁ普通の子だった。
だからいつもそのボールを追っかける集団から少し離れた所にいたんだ。
当然昼休みずっとサッカーしてても2、3度くらいしかボール触れないんだよね。
で、ある時5m前の混戦集団から、ポロッてボールが僕の前に偶然転がってきたのよ。丁度センターサークル過ぎ辺りの位置だったんだけど、ダイレクトで思いっきり蹴ってみたんだ。そしたら綺麗な弧を描いて、入っちゃったんだ。

全てがスローモーションになって時が止まった気がした。
『体中の血が逆流する
僕がヒーローだぁってこころから思える・・・』
一瞬だけど、一生忘れない、その一瞬の気持ち・・・。
そんな瞬間に恋い焦がれて
そんな瞬間をもう一度味わいたくて
人はどんどん前に進む
人はもっともっと上を目指す
そうやって始まったサッカーライフ。充実した青春だったんだけど、よくある話でポジション争いやら、大きな怪我の中で、やがて訪れた大きな挫折。

そんな時、
僕を救ったのが『音楽』だったんだ。
それから、その5年後・・・
僕はね、ニューヨークのライブハウスでハイラムブロックというギタリストを観ながら、震えていたんだ。
手を伸ばせば届きそうな位の狭いステージの上から、世界を変えてるヒーローになりきっちゃって・・・。我が物顔で、そして愉快に痛快にギターを操る。
このギタリストにとって、このステージが『小学校の校庭』なんだって気がしてさ・・・。
震えがくるくらい、僕もそこに行きたくなった。
いてもたってもいられなくなったんだよね。

今思えばその時から、僕のプロミュージシャンとしての長い旅路が始まったんだ。
『はじめの一歩』だったんだなぁ。
さてさて
この後どのようにして僕は作曲家になり
作詞家になり
SHOBI の先生になっていったのか・・・
そのお話は
また機会があったらって事で
じゃまた!

プロフィール
市川春行
アレンジ・作曲学科/音楽総合アカデミー学科講師
作曲家、プロデューサー。主にアイドル、タレント系の作品提供に定評がある。20代で都内のライブハウスでの演奏活動を精力的にこなし、バンド解散を機に作曲家としての活動を開始。深田恭子のデビュープロジェクトをきっかけとして平山あや、酒井彩名、Folder5、hiroへ楽曲を提供。また『魔法陣グルグル』のテーマソングを担当し、最近ではKAT-TUN、嵐、BoA等の制作に携わっている。
音響・映像学科はスラムダンク?!とりあえず、そっちの方向へ行ってみる

どぉも。
音響・映像学科でPAを担当している折井です。
今回は、私の学生時代から音響の仕事と出会うまでのお話です。進路で迷っている人へのアドバイスになればうれしいです。
●生い立ち
生まれたのは横浜なんですが、なんせ引越しが多くて・・・。幼稚園は引越しのため中退(あ~・・・すでに将来の予感がぁ~)
入学した小学校は3年で関西へ転校、中学にいたっては1年・2年・3年で3つの中学校。
大学は予感のとおり中退、結局入学して卒業したのは高校だけなので「小学校時代からの友達がさぁ~・・・」なんて話を聞くとちょっとうらやましいです。
●今の仕事の原点?
高校時代は勉強をがんばるほどの根性もなく、かと言って「勉強なんか出来なくても関係ねぇー」と言えるほどの勇気もなく、期末試験の前の晩には「勉強しなきゃ」と思いつつふっと気がつけばマンガを読みふけって午前3時・・・「がぁ~・・・地震で校舎つぶれないかなぁー・・・」なんて考えておりました。
クラブ活動は、活動しているのかしていないのか分からないようなグダグダの軽音楽同好会でしたが、文化祭は楽しかったです。
当時の高校はロック禁止だったので、クラスの友達と3人組フォーク・グループでライヴをやり、それと平行して同じ仲間と有志で映画を作って上映。
文化祭前になると、放課後はギターを持ってバンド練習、夜は友達の家で映画作り。
ある年など文化祭前日になっても映画が完成せず、深夜「間に合わねぇー」っと徹夜で編集した事もありました。

●暗黒時代
あまり将来を真剣に考える事もなく大学に進学したのですが、勉強の方はまったく興味をもてず、「ロックができるぞ~」と期待して入ったバンド・サークルも人間関係がうまく行かず、2年生になる頃には授業へもサークルへも行かずに部屋にこもってレコードばかり聴いていました。私の暗黒時代です。
学校をやめようか?
でも、やめてどうしよう?
何か好きなことをやろうか。
でも好きなことって何だろう?
音楽は好きだけどそれで食べていけるほどの才能はないし。
やっぱり学校へ戻ろうか?
でも・・・。
こんな堂々巡りを半年ぐらい続けていました。
●転機
転機は高校の同級生のお葬式でした。親しい友達ではなかったけれどよく知っていたやつで、お葬式のときボ~ッとしながら思ったのは「はぁ~・・・人間って19歳でも死んじゃうんだな~・・・」 「俺はいったい何をやっているんだろう・・・」ってことです。
こんなことをしていてはダメだ。とにかく行動を起こそう。
今自分に分かっているのは"音楽が好き"それだけなんだから「とりあえず、そっちの方向へ行ってみよう」「音楽に近い仕事をやってみよう」と大学を中退して、レコード屋さんでアルバイトを始めました。
結局その仕事も1年ぐらいでやめてしまったのですが、そこで知り合った友達に紹介してもらったのが音響のアルバイトでした。
●裏方仕事の面白さに目覚めた!
音響の仕事を始めてすぐに楽しかったか?と言うと、そんなことはありません。
「音響の仕事で頑張るぞー!」なんて意識もぜんぜんなく本当にただのバイト気分で、仕事の内容もいわゆる雑用でしたから。ただそこで知り合った友達と音楽の話をするのが楽しかったので、社員2~3人の小さな会社でしたがそのままそこへ就職しました。

就職して1年ぐらいただ与えられた仕事をこなしていたそんなある日、ちょっとした自分なりの工夫がうまくはまった仕事があったんです。自分でも「なんか今日は楽しかったな~」なんて思っていたら、お客さんから「今日は本当にありがとうございました。すご~く良かったです。」な~んて褒められてすっかり「いい気」になっちゃったんですね~。
その日以来ノリノリで仕事をしていると社長からも「折井は最近かわったな~」と。
大変だけど面白い仕事にもどんどん連れて行ってもらえるようになり、裏方仕事の面白さに目覚めたその頃は、「うっひゃあ~、毎日が文化祭だ~っ!」て気分でした。

●音響・映像学科はスラムダンク?
音響・映像学科の学生も昔の私と同じように「音楽がすきだから」と入学してくるけれど、やっぱり他のダンス学科とかの学生がダンス好きで入学してプロを目指して授業を受けているのとは違うんです。
彼らは入学するまで一度も機材にさわったことがなく、楽しいかどうかやった事もないのに音響や映像や照明の授業を受け、イベントのスタッフをやり「プロを目指せー」って言われても・・・、「一度も踊ったことがないのにダンス学科に入学した学生」を想像してみてください。
そう、音響・映像学科の1年生は音響・映像のプロを目指す世界に掘り込まれた素人、つまりバスケの世界に放り込まれた素人「桜木花道くん」と同じ立場なのです。
音響のバイトを始めた頃の私や、入学間もない1年生の「音楽が好き」はスラムダンク第1巻P.14で桜木君が春子さんから「バスケットはお好きですか?」ときかれて答えた「大好きです。スポーツマンですから」の「大好き」って感じなんです。

スラムダンクを読んだことのある人ならだれでも知っている名シーンだけど、桜木君はもう1回同じセリフを言うじゃないですか。
第30巻の最後、春子さんに「大好きです。今度は嘘じゃないっす」って。第1巻の桜木君の「大好き」と第30巻の桜木君の「大好き」はバスケットに対する想いがぜんぜん違うでしょ?
この学校の講師をやっていて1番幸せなのは、桜木君が成長したように、入学したときと違う重みで「音響、楽しいっす」といってくれる学生と毎年出会えることです。
進路に迷っている人は「とりあえず、自分の好きなものがありそうな方向」へ行ってみてはどうでしょうか。第30巻の桜木君のように「大好きです。今度は嘘じゃないっす」て言える職業に出会えるかもしれませんよ。
プロフィール
折井隆彦
音響・映像学科講師
ホールの音響としてキャリアをスタート。90年よりフリーのPAオペレーターとして活躍し、スクリーン、マッスルビート、サニーデイ・サービス等の国内アーティストや、モノクロームセット、グレッグソン&コリスター等の海外ミュージシャンのツアーを担当。後進の指導にも熱心で、SHOBIでの教職歴は既に18年。最近ではホールの音響管理や、ダンス、音楽物のイベントなどの現場で、かつての教え子に出会う機会も多いと言う。
ゴスペルクワイヤーとのセッションは、通い合う高揚感と一体感で強烈に音楽の力を感じ、さらに音楽のとりこになった!

こんにちは!
ヴォーカル学科で実技を担当してる長谷川紗伊子です。
名前は「サイコ」と言いますが・・・昔一緒にバンドをしてたメンバーやお仕事仲間からは「ジャイコ」と呼ばれてます。
由来は、サイコ→シャイコ→ジャイコと名前の進化系?!
なので、ジャイアンのような兄貴は、いません(笑)
私の出身は、新潟県の燕三条市という場所です。
高校時代は、自由に音楽室を使用できるという理由から合唱部の部長に。
きちんとした合唱指導顧問もいないため本などで調べては、ほぼ我流トレーニングを皆で考えたり部員達におこなってました。(今、考えると恐ろしい・・・)

●音楽に国境はない
音楽の方向性に大きく悩んでいた20代、ニューヨークへ渡りました。
ヴォーカル留学だったのですが、夜な夜な遊びに行ったライブハウス、ブロードウェイ、教会(ゴスペル)様々な刺激を受けました。
中でもゴスペルクワイヤーとのセッションは、今までにない体験でした。
ゴスペルは、アメリカで長い間奴隷制度や人種差別等の、苦難の歴史を歩んだアフリカ系アメリカ人たちが、自分たちを人間として・人格として扱ってくださる神様に、感謝や喜びの気持ちを歌にして表現した「魂・祈りの歌」です。はたして・・・私は、心から同じ気持で一体化できるのだろうか?

そんな時にクワイヤーの一人から言われた言葉
「Don't think , feel!」
ルーツは、違うけど五感で感じて開放すること。
例えば「Oh Happy Day」のような曲を歌う時は、踊りながら全身で自分なりの「Happy!!」って気持ちを表してます。(激しく全身をシェイクしたり、飛び跳ねてる人もいたりして)クワイヤーと共に自分なりの「Happy!!」を開放が出来た時は、通い合う高揚感と一体感で強烈に音楽の力を感じ、さらに音楽のとりこになりました。
宗教や言葉やルーツを越えて「音楽は人間同士を一体化させる」私にとって肌で感じた大きな経験でした。
●私のオアシス
音楽のとりこと同じ位、とりこになってるのが波乗りなんです。
一日ゆっくり休みがある時は、ロングボードを車に積んで千葉の九十九里浜や茨城の鹿島へ行ってます。
海は、私の憩いの場所ですね!雲の流れだったり、風の向きや、太陽の日差しを体いっぱい感じながら波乗りしてるとスルスルと雑念やストレスが抜けてっちゃいます。
波は、一つとして同じ波が、無いんですよ。海のコンディションや気候が変わると、早い波、遅い波、薄い波、厚い波・・・人にも個性があるように波も個性豊かで毎回、一期一会なんです。自然の偉大さには、いつも感心しっぱなしです。

また、私が大好きな海の景色ナンバーワンは、夏の日が沈む時間帯です!
海の中から見る夕焼けは、本当に何とも言えず綺麗なんです。紫、ピンク、オレンジ、グラデーションで海が染まるさまは、皆さんにも見せたいです。
やっぱり自然は、偉大です!
そして海での楽しみは、ローカルさんの漁師仲間が獲って来てくれた海の幸で、ワイワイガヤガヤとバーベキューをしたり。温泉に入ってみたり。曲を作ってみたり(海だとリラックスしてるせいか?!けっこう曲が生まれるんです)と、こんな休日を過ごしてる私です。
●お婆ちゃんになっても
人・音楽・自然を愛し、そして愛され、年を重ねながらライブをして海に行けたら幸せですね。
プロフィール
長谷川紗伊子
ヴォーカル学科講師
学生時代からバンド活動を行いアルバム「FlightDeparture」リリース。ニューヨークでGuregolly氏やMercedes Hally氏に師事して発声法、歌唱法、ゴスペル等中心に学ぶ。帰国後は愛内里菜や他アーティストのバックアップコーラスとして参加。またシンガーソングライターとして各地でライブ活動を開催する。現在は、ソニーアーティストやエイベックスのアーティストを始め俳優・声優のヴォイストレーニングを行っている。
ライフワークのBig Bandを書くことが何よりも楽しい!"音楽"こんな楽しいことはやめられない!!

左:熱田先生 右:バン・ゴムソさん
こんにちは。
SHOBI ピアノ学科で講師している熱田です。
今回は、私のプロフィールをインタビュー形式にして紹介しましょう。
インタビュアーは僕の生徒でもあり、韓国からの留学生バン・ゴムソさん(音楽総合アカデミー学科4年生)です。
―ピアノを始めたのはいつですか。
4歳です。ピアノ弾くより野球してました(笑)
―どんな練習を?
曲を練習するというよりは、ピアノの前に座って、あーでもない、こういう音が面白いとか、とにかく勝手にハーモニーなどを変えて弾いていました(笑)
―それが作曲・編曲の始まりですか
そうですね。

―管楽器は?
トランペットを中学の吹奏楽部で吹いていました。ここでもBSTとかchicagoの曲をアレンジしてBrass Bandでやっていました。いい加減な譜面だったと思うけれど。
―本格的に作曲を勉強し始めたのは?
中学の時から和声学、対位法を始めました。この時の四声体の経験が今でも役に立っています。
―ピアノは続けていたのですか?
もう独学です(笑)
作曲の手段のためのピアノですね。でも譜面は読める訳だから、当時流行っていたエルトン・ジョンとか弾いて人気者になっていました(笑)
―高校時代は?
良い先輩がいて、クラシックを時代順に、又オーケストラから室内楽まで、順序立てて教えてくれて、僕も夢中になって聴いていました。
―Jazzは聴かなかったのですか?
はい。マイルスとかコルトレーン、名前は知っていましたが、難しそうで敬遠してました。

―大学は2つ行ってましたよね
はい。10年近く大学生やっていました(笑)
日本は獨協に行き、前半はオーケストラで、へたくそなホルンを吹いていました。後半はBig BandでピアノとArrangeを、専門であるドイツ語そっちのけで1人音楽部をやっていました(笑)
―バークリーでは何を?
少し専門的な話になりますが、Line Writingという5本のSaxでのSoliを書く技法です。これを考えだしたHerb Pomeroyという先生がいて、是非習いたいと思っていました。
―Herbの授業はどうでしたか?
もう最高でしたね。Lineが終わった後も、彼が授業で持っているBig Bandで僕のOriginalを何曲も演奏してもらって。1週間に1曲、18の楽器のパート譜を書いていました。半年近く、人生で一番たくさん譜面を書いていた時期です(笑)
―言葉は大丈夫だったのですか?
英語はへたくそでした(笑)
でも奥さんがぺらぺらで、もちろん日本人ですよ。
ボストン大学の大学院に在籍していました。相当のインテリです(笑)
僕と違って(笑)

―Jazzのセッションなどはやらなかったのですか?
ピアノを練習する時間はなかったので、セッションは授業の時くらいですね。アンサンブルの時間の。でもミュージシャンの友達はたくさんできました。何しろ初めての音大ですから。27歳で。
―友達?
やはり志は一緒ですから。ライバルでもあり、友人でもあり。獨協のときには、練習しなくても上手くなるんじゃないか、と本当に思っていましたからね(笑)
そんなことは、天地がひっくり返っても起きないんだ!という事をまわりの連中から学びました。もう少し若い時に音大に入っていれば、僕のピアノもバンちゃんみたいに上手くなってたんじゃないかと、これだけは後悔してます。
―私なんかまだまだですよ。
そう。でも今20歳でしょ。今、しっかり練習を積んでおけば、ぐんぐん伸びますよ。感性とかは、後になっても習得できるけど、技術は若い時に身につけておかないと。30歳くらいまでにね。
あとは、沢山いい音楽を聴くこと。バンちゃんも色々聴いてきたと思うけど、僕も誰にも負けないくらい様々な音楽を聴いてきたと思うよ。Jazzは勿論、Classic, Soul, Funk, Latinそれも特にブラジル音楽、誰も知らない辺境の民族音楽など(笑)

―そうですね。聴くと勉強になるし。
そうそう。勉強にもなるし、感動ももらえる。音楽をやっている人が、他の人の音楽を聴いて感動することは、一般の人たちが感動するのと違うと思うんですよ。これは何もその人たちが悪いとか感性が欠如しているか、ということではなく、やはり専門に勉強しているから色々なことがわかるし、その上で心を揺り動かされる訳だから、これは凄い。激しい感動(笑)
又、その感動が次の自分の作品を生む原動力になっていく。
―そうですね。日本に帰ってからは何を?
作曲と編曲だけでは食べていけないので、ピアノを猛練習しました(笑)
ただ30歳過ぎての練習ですから、あまり効果がありませんでした。
―具体的にはどんなお仕事をしたのですか?
ソロピアノでのライブや、バンドでのオリジナル曲の発表や、Pops, シャンソンの伴奏、布施明のBack Band。
編曲では、ヤマハ関連のものや、NHKのドキュメンタリーの音楽など。
ここ最近10年は、学校で教える仕事が多いですね。

―私も先生のアンサンブルとっていますが、楽しいです。難しい曲が多いですが。
そうですね(笑)
“Donna Lee”なんかのスタンダードやらWeather Report, Pat Methenyなどの作品はどれも素晴らしいし、やっている方も感動できるし。
―本当そうですね。
SHOBI では10クラスの編成の違ったアンサンブルの授業をやっているでしょ。
もう楽しくて楽しくて。
―そんなにたくさんのクラスにアレンジを書くのって大変じゃないですか?
もう趣味の世界です(笑)
その中でもライフ・ワークのBig Bandを書くことが何よりも楽しいです。1カ月位書かないと禁断症状が出てくる(笑) 早く書きたいって。
―(笑) 話は突然変わりますが、一番影響を受けた音楽家は?
Keith Jerrettですね。ピアノは勿論のこと、作曲、生き方、考え方に至るまで。キースの話をさせたら止まりません。
明日の朝まで喋ってるかも(笑)
―最後になりますが、音楽をやっていてよかったことは?
音を出すことって原始的な喜びがありますよね。又、アレンジなんかやってても、何が出来るんだろう、というワクワク感がありますよね。こんな楽しいことはやめられない(笑)
子供時代のBGM/シューマン:子供の情景、ドビュッシー:子供の領分
中学生時代の愛聴盤/Blood Sweat & Tears “血と汗と涙”
僕のピアノの原点/Steve Kuhn “Ecstasy”
Big Bandのお手本/Thad Jones & Mel Lewis Jazz Orchestra “New Life”
C. Fischerのアレンジに狂喜乱舞/Joao Gil berto “Joao”

プロフィール
熱田公紀
ピアノ学科/音楽総合アカデミー学科講師
1955年、東京生まれ。4歳よりピアノを始める。13歳より和声学・対位法を土肥泰氏に師事。中学・高校では吹奏楽部でトランペットを、獨協大学(外国語学部卒業)ではオーケストラ部でホルンを担当。また同大学のビックバンドでピアノを弾く傍ら作・編曲を手がける。その後渡米し、バークリー音楽大学Jazz Composition and Arranging科を卒業。
帰国後、ポリドールよりソロピアノアルバム “Crystal Stream”と“Childhood’s Memory”をリリース。NHKテレビ「大黄河」の作・編曲を宗次郎とともに手がける。
現在、(財)ヤマハ音楽振興会でのテキスト制作、吹奏楽の“New Sounds In Brass”の編曲、ビッグバンドの作・編曲、昭和音楽大学等での後進の指導などの他、ピアニストとしてコンサートやライブ等で活躍中。
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