<出演者>
MAY’S(河井純一さん・片桐舞子さん)
関根佑介さん(フォッグ株式会社)

佐藤菜夏さん:アレンジ・作曲学科ソングライティング専攻(北海道八雲高等学校出身|写真左)
松竹祐希奈さん:ヴォーカル学科ヴォーカル専攻(千葉県立野田中央高等学校出身|写真左から2番目)
徳持安希さん:ミュージックビジネス学科マスコミ・ライター・クリエイティヴ専攻(埼玉県・昌平高等学校出身|写真右から2番目)
松田恵輪さん:ダンス学科ダンス専攻(神奈川県立金沢総合高校出身|写真右)

MAY'Sのおふたり、おかえりなさい、尚美へ

松竹祐希奈さん(以下、松竹)MAY'S結成15周年おめでとうございます!

MAY'Sありがとうございます。

佐藤菜夏さん(以下、佐藤)尚美の先輩、MAY'Sのおふたり河井純一さん・片桐舞子さん、おかえりなさい尚美へ!

片桐舞子さん(以下、舞子さん)あははは!ただいまなさい!
私たちの結成15周年のアニバーサリーイヤーに、在学生のみなさんとお話する機会を作っていただいて、ありがとうございます。2年生在学中の2002年、クラスメイトで結成した私たちが、こういう節目の年に母校で“今”学んでいるみんなとお話できるのはうれしいですね。よろしくお願いします。

河井純一さん(以下、河井さん)よろしくお願いします。

徳持安希さん(以下、徳持)尚美を卒業されたお二人ですが、当時の想い出を教えてください。

舞子さん言える範囲で(笑)せっかくなのでざっくばらんにお話しできた方が良いのかなと思ってます。

河井さんまだ、この校舎(※1)とかなかったので・・・

舞子さんこの隣が本校舎(※2)で、そっちの方がやっぱり思い出があるね。私たちは今でいうとアレンジ・作曲学科のデジタルミュージック専攻の出身なんだけど、きっと私たちがいた時と今とでは、授業が違ったりするんだろな。学校は楽しかったですよね。私は地元の友だちに大学進学の子が多くて、専門学校を選んだ子が少なかったのね。
自分が選んだことだけを学ぶ環境っていうのが大学生活と圧倒的に違うな、と大学に通っていた友だちと話して思いましたね。尚美では、仲良いグループで近所にご飯食べに行ったね。今もあるでしょ?後楽園のマクドナルド、あそこはもうしょっちゅう行ってたよね?

河井さん毎日行ってたよ。

舞子さんあそこで結成したもんね。

河井さんそうそう。あそこで結成した。

舞子さん何でもいいから曲を作って提出しなさいっていう課題があって、一つのテストに対してのクオリティをどれだけ高くして作れるかということが、私たちの学科のテストの評価だったんですよ。一人でもグループで作っても大丈夫。例えば、曲が作れる子、歌が歌える子、作曲や歌うことよりもデザインが得意な子もいたりして、そういうみんなが集まって学校の機材を借りて、外で撮影してジャケット作ったりして。ちなみに、皆さん学校の課題はどんな感じかな?それぞれの学科で相当違うんだろうな。アレンジ・作曲学科は今もそういう感じ?

佐藤そうですね、それぞれのクォーター(※3)で1曲ワンコーラス作詞・作曲をして、三人の先生方にコメントをもらいます。

舞子さんえーーー!うちらの時より全然厳しいよ。

佐藤実技試験は、そんな感じです。

舞子さん結構、本格的な。我々の時とはちょっと違って厳しいね。

河井さんそうだね。

舞子さんヴォーカル学科は?

松竹ヴォーカル学科もクォーターごとに公開実技試験があって、レコード会社やプロダクションや、色んな音楽業界の新人発掘の方が見に来ます。

MAY'Sえーーー!

松竹後でコメントを一人づつもらえるので、次の試験への目標になりますね。

河井さんもうオーディション的な感じだね。

舞子さんじゃあ、いつもそんな感じで大きいテストに向かってトレーニングしてるんだ?

松竹はい!

舞子さんダンス学科もだよね?

松田恵輪さん(以下、松田)そうですね、二年生になるとクラスでチームになって作品を作って、最終的に先生方と卒業した先輩に見てもらいます。

舞子さんあー、そういうことをやってるんだ。

松田はい、後は授業でやってる振りを練習して毎回一人ずつ先生に見せてます。

舞子さんへえー。毛利あゆみ先生(※4)って元気?

松田はい!

舞子さん私たちもライブであゆみ先生に振り付けてもらったり、一緒にツアー回ったりとか!

河井さんうんうん!

舞子さんミュージックビジネスだと課題って?

徳持そうですね、専攻によって違うんですが、アーティストマネージメント系だと架空のアーティストを考えてそれをどうマネージメントしていくかっていう。

MAY'Sおー!

徳持あと、イベント制作だとイベントの企画を作って経費の計算、プレゼンをすることが課題ですね。

舞子さんそれはすごい就職に有利だと思います!

河井さんそうだね。

松竹私、このまえ、MAY'S先輩の「風の歌を聴きながら」のレコーディングにコーラスで参加(※5)しました。貴重な経験、ありがとうございました。

舞子さんこちらこそ、ありがとうございました!!ソプラノとアルトどっちだった?

松竹私はアルトでした!

舞子さんアルトの方が難しいからね。どうでしたか?レコーディング

松竹大きいなスタジオでレコーディングするのは初めてだったのですごく緊張して、最初音取れなくなって、練習していたのに歌えなくなっちゃって(笑)でも、先輩方がいたのですごく心強くて楽しかったです。

舞子さんやっぱり現場でやってみないと分からないことが沢山あるよね。普段歌っているのとイヤホン付けて歌うのは全然違うし、そういう事がこれからの未来につながっていけばいいなと思ってます。みなさん本当に練習してきてくれてバッチリだったので、上出来でした!

関根佑介さん(以下、関根さん)尚美のヴォーカル学科と関わるきっかけは何だったの?

舞子さん今年結成15周年なので「アニバーサリーソングを作りたいね」って話している中で、みんなが小さい時から聴いて歌ってる曲って“合唱曲”だよねって話からなんです。それと尚美の後輩と一緒に一つの作品を作れたらいいなと思ったの。ヴォーカル学科のみんなも沢山来てもらえたのは本当にありがたかったです!

プロってどういうものですか?

松田私たちも先輩のようにプロとして活躍したいという目標を持って、日々練習に励んでいるのですが、プロデビューした経緯やきっかけを教えてください。

舞子さん事務所のオーディションを受けたんじゃなくて、知り合ったミュージシャン何人かと、音楽が好きでマネージメントとかをやってみたいっていうメンバーで一緒に事務所を立ち上げたので、最終的にメジャーデビューが出来たっていうのはかなり珍しいケースだと思います。その分、他のアーティストが知らないこともいっぱい経験しています。普通だったらマネージャーが全部やってくれて、私たちは歌うだけ、曲作るだけ、のはずなんだけど(笑)。ライブ会場でライブをするにはいくら経費がかかるか、とかCDを作るには何が必要で、どれだけのコストがかかるかも全部自分たちで勉強したし、自分たちでやらないとできない環境の中でやれた分、プロとしてデビューした後にすごく役に立ってると思います。ライブの現場で「いいね!」って言ってくれる人が「じゃあこっちのイベントにも出てみない?」、「じゃあ今度はこっちのイベントにも出てみない?」、そのイベントを見てくれた人が評価してくれて「今度こういうことやってみなよ、多分できるよ」とか、どんどんどんどん人脈や応援してくれる人たちが増えて今の形になってきたっていう感じですね。

松田ありがとうございます。

徳持ミュージックビジネス学科の脇田先生(※6)は、もともとお二人のマネージャーだったんですよね?

舞子さんあっ、脇田先生の授業受けてるの?!脇田さんがメジャーデビューした時の初代マネージャーなの。 もうめっちゃ喧嘩した(笑)

河井さんそうそうそう。

一同(笑)

舞子さんすごいアイディアマンですよね。自分たちの視点だと思い浮かばないようなことをすごくたくさん思いついて(笑)。はい、脇田さんのことは書いていただいて大丈夫です(笑)

佐藤プロとしてデビューしてから今まで一番記憶に残っている事や嬉しかったことを教えて欲しいです。

舞子さんそうですね、来年メジャーデビューして10周年になるんですけど、プロっていう自覚ができたのっていつだろうね?

河井さんさっき話したみたいに、もともとインディーズ時代に自分たちで事務所を作ったり、CDの制作宣伝も自分たちでやっていて、それが評価されてそのまんまメジャーデビューしたので、メジャーでもインディーズ時代と変わらずやらせてもらっているというか…。そう、メジャーデビューして一番インディーズと違ったのは地方にライブで行けること。渋谷とか東京中心でライブをやっていたのが、全国いろんなところにライブに行って、「ここにも応援してくれる人がいるんだ」ということが生でわかったのがデカいですね。

舞子さん全国ツアーができるようになったことっていうのは、ものすごく大きいんです。メジャーデビューして、自分たちのCDが全国のCDショップに並んで、会ったことがない子たちが自分の曲を聴いて感動してくれるのはもちろん喜びの一つではあるけど、自分たちがそれまで一回も行ったことのない場所でも自分たちのためにこんなに人が集まってくれるとか。ダイレクトに、「あぁよかったな、がんばってきてよかったな」って思える瞬間でしたね。

佐藤ありがとうございます。

徳持逆に辛かったっていうか、苦しかった時期はありますか?

舞子さんメジャーデビューするまでは5.6年くらい下積み時代があって、メジャーデビューまでの階段を登っているような時期だったけど、それまで普通にアルバイトしてたよね、2人ともね。

河井さんうん。

舞子さん音楽だけやって生活したいのに、生きていかなきゃいけないからバイトしなきゃいけないし。事務所として借りてた部屋にバイト先から行って、そこで曲作って、仮眠して、またバイトに行ってた生活って、つらいなって感じたりとかねぇ。

河井さんスタジオにマイク立ててレコーディングしてたんだけど、スタジオが線路の近くだったんだよね。朝になると始発から電車が走っちゃうから、始発が来る前までに録らなきゃいけないみたいな(笑)。

舞子さんそういう状況がつらかったし、苦しかったときもあったけど、夢に向かって頑張ろうっていう気持ちがすごく強かったから、そのモチベーションだけでやってこれた。
メジャーデビューしてからは、最初の3年間くらいが異常に忙しかった。リリースが1年間にシングル3枚とアルバム1枚。もう前の年には来年の年間プランっていうのが大体決まっていて、だから、発売しました、発売するとプロモーションで全国いろんなところに行ってラジオに出て、「発売しました、買ってください」ということをやりながら、その3ヶ月後には次のリリースが決まってるから、次の曲作りをして、やりながらライブをしているっていうのが3年間くらい続いて。 基本的には発売の2ヶ月前から3ヶ月前が納期だから、リリースの2ヶ月前ぐらいには次にリリースされる音源とジャケットが全部出来上がってないとリリースが出来ない!待っててくれる人たちがいるわけだから、何とかそこに応えたいっていう気持ちがあったりし、好きなことを仕事にしてるから弱音も吐けないし、ね。でも生活のリズムとかもほんとに寝る時間を削らないと曲が作れないっていうようなスケジュールだったから、そこに対して自分の気持ちを保つっていうことがすごく大変だなって。プロってこういうことなんだな、っていうのをその時は思いましたね。純ちゃんはなんかあります??つらいことってなさそうですよね?

河井さんうんあんまないね。

一同(笑)

舞子さん私たち役割分担が出来ていて、私が外回り担当、で純ちゃんは家で作ってる人っていう(笑)ねえ。

「MAYʼS×CHEERZ」同級生コラボレーション企画

徳持MAYʼSのお二人と、尚美の同級生でフォッグ株式会社 代表取締役の関根佑介さんがプロデュースするアイドル応援アプリ「CHEERZ」がコラボレーションをした「MAYʼS×CHEERZプロジェクト」、どんなプロジェクトなのか教えていただけますか?

舞子さんプロジェクト自体は、「CHEERZ」内で活動しているアイドルの子たちを対象に『応援数上位3名はMAY’Sのミュージックビデオに出演!』っていうイベントを立ち上げて、第1弾、第2弾、第3弾の3回、上位になった子達と3曲一緒にミュージックビデオ撮影して、5月31日にリリースになったミニアルバムの中のDVDに収録しました、っていうことだったんですけど。元々は、ちょうど1年前くらいにクラス会があって、「CHEERZ」の社長の関根君が私たちの同級生で、もう一人クラスメイトでCMディレクターとして活躍してる人がいるんですが、同じ業界にいるんだから、それぞれができることでコラボをして一つのプロジェクトをやろう、という話だったんです。

関根さん最終的には思い出作りみたいな。

舞子さんでも、それぞれのフィールドでがんばってきたから、一緒に何かやろうって思ったときにそれぞれが自分たちの力を最大限に発揮できる環境になれた。結成15周年っていうタイミングで同級生と一緒にものつくりができたっていうのは、がんばってきて良かったなぁ、って思います。

佐藤MAYʼSのお二人と関根さんとそのもう一人の方は在学時から仲が良かったんですか? 4人で一緒に曲を作るような関わりはあったんですか?

舞子さんなかったね。

関根さんあんまなかったよね。僕もいわゆる打ち込みの教室にずっといた感じで…。

舞子さんコラボらしいことはまったくしてない。関根君はあんまり曲作りはしなくて。当時からこういう、曲を作ってるメンバーをサポートする、というか。

河井さんそうそうそう。

舞子さんうん、なんかこうそういう部分って当時からあったよね。メジャーデビューしたときに、関根君が『歌ネット』っていう歌詞検索サイトを作ったのね。

学生一同えー!

舞子さんあはは(笑)。当時、歌詞はCDを買ってブックレットを見て知るっていうのが当たり前だったの。曲は着うたとかデジタルで聴けるけど、歌詞はどこで見たらいい?っていう時に『歌ネット』を作って歌詞を検索できる、というね。当時、関根君が「僕がやってる『歌ネット』でなにかMAY’Sを応援できませんか?」って言ってくれて、『歌ネット』のサイト内で、リリースする曲に合わせた携帯小説を発表してプロモーションしたり、とか。あれはすごく良かったですよねー。

関根さん初めての試みで、一緒にコラボをして曲が流れる携帯小説を作ったんですよ。それが話題になってその後いろんなアーティストから問い合わせが来ましたね。

松竹卒業後にも音楽業界内で尚美のネットワークが活かされるんですね!

舞子さんそうですね!はい!そうだと思います!

MAYʼSのこれからを教えてください

徳持今後、結成20周年、30周年と、まだまだ活躍するお二人が見たいんですけど、MAYʼSのこれからを教えてください。

舞子さん秋に15周年の全国ツアーを全国8カ所15公演が決定しているので、そこに向けて色々考えています。この夏はライブしたり、イベント出演したり、すでに新曲の制作に入っているので、年内に15周年の締め的な形で発表出来ればいいな。来年はこんなことしたいなっていう構想はもうすでにあるし、20周年、30周年、という未来に向けて自分たちが提案できることは積極的にやっていきたいなと思っています。

松田劇団MAY’Sとしてサンリオピューロランドで公演されているとお聞きしたんですけど、そちらの話を聞かせていただいてもいいですか?

舞子さん5年前くらいかな、サンリオのファン以外にもサンリオピューロランドに来てほしいっていうことで、「ピューロランドでMAY'Sのライブをやりませんか?」って声をかけてもらったのがきっかけです。どうせやるんだったらキティちゃんや他のキャラクターのみんなも出演してもらえるミュージカルショーみたいなものを作りたいですって言って劇団MAY’Sを作らせてもらったので、私たちにとって大きな経験になったなぁと思います。

松田私たちも尚美の先輩 MAYʼSとコラボレーションをしたいんですけど、9月に行われる尚美ダンス学科公演「Thight!ʼ17」で、自分たちが振り付けをするダンスナンバーに、MAYʼSの楽曲を使ってもいいですか?

舞子さんぜひ!ぜひ!!

河井さん嬉しいね!

松田ありがとうございます。素敵な振り付けに仕上げます!できれば観に来てください!

舞子さんみんな学生自身が振り付けをする?

松田はい、そうです。

舞子さんおー!すごーい!

松田9月23日と24日、土日でやるんですけど、もしよかったら。

舞子さん見に行かせてください。

河井さん行きます。

松田よろしくお願いします。

佐藤私、小6か中1の時に「SKY」って曲でMAY’Sのことを知りまして。昔から歌手になりたいっていう気持ちがあって、ヴォーカル学科しか知らなかったんです。でもMAY’Sのことを知って調べて、作詞・作曲を全部自分たちでやってることを知って、学校を調べたんですよ。そしたら尚美が出てきて。MAY’Sみたいになりたいと思って、尚美のアレンジ・作曲学科に入ったんです。今日お二人とこうやってお話しするという、すごいリアルで貴重な体験ができて、本当ありがとうございます。

舞子さんわぁ、うれしいです、それは本当に私たちもすごくうれしいね。

河井さんねぇ、うれしい。

佐藤ありがとうございます。

松竹今日は貴重なお時間を割いていただいてありがとうございました。

学生一同ありがとうございました

河井さんありがとうございました。

舞子さんありがとうございました。皆さんの活躍を楽しみにしています!いつか仕事で会いましょう!

<原稿作成協力>
上野実莉さん:ミュージックビジネス学科(神奈川県・鶴見大学附属高等学校出身)
小川真由さん:ミュージックビジネス学科(埼玉県立上尾南高等学校出身)
山本亜実さん:ミュージックビジネス学科(埼玉県立志木高等学校出身)