夢を奏でる。人を育てる。尚美ミュージックカレッジ専門学校

ショパンコンクールレポート1 山地 真美(音楽総合アカデミー学科4年)

 ブラウン管越しにみていた、あの「ショパンコンクール」。
パソコンとかメディアから音がでるしくみについては全く知らないけれど、少なくとも今回私が聴くコンクールは「電気機器の音」じゃない。ピアノから生まれる音と、それを聴く自分の耳の間になんのフィルターもないことが、どんなに貴重な経験であるか、会場に向かう車の中考えていた。
ポリーニやアルゲリッチの映像で白黒だったハーモニーホールが、目の前にカラーで現れた時は、「まさか自分がショパンコンクールを聴きにくるなんて」といったような感覚。目の前に立つと、自分がまるでテレビの中に入ったような何だか不思議な感じで、色んな歴史をもつその会場を前に、やっぱり私はピアノが大好きなんだと感じた。

 コンクールは、日本人が抱いてる「世界一のコンクール」というイメージよりもくだけた部分もあって、会場自体は温かい雰囲気。何だかシビアな「コンクール」というより、ポーランドの大イベントというか、ショパンを本当に大切に思うポーランドの人がこの伝統あるコンクールを盛り上げているのを感じた。
感動のある演奏の時はめいっぱいの拍手で応えるし、そうでない時は首を傾げたりする人もいる。
ヨーロッパの観客のとても分かりやすい率直な反応は、たとえそれがコンクールではなくてコンサートだとしでも、ピアニストにとって厳しいようで反面、観客との距離を近づけやすいような印象をうけた。あの観客から割れそうな程の拍手をもらえた時は、本当に気持ちのいいものなんだろうなと勝手な想像を膨らましてみたりもした。

 出場者の演奏は本当に個性もそれぞれで、私は立派な評論家でも審査員でもないごく一般的立場から、すごく自由な聴き方ができてよかったと思う。
音楽に優劣をつけるのは好きではないし、そもそも「正しい音楽」というのを求めるのはおかしい。ただ言えるのは、演奏者のつくる音楽の波の頂点と聴いてる側の頂点が一致する時は、すごく後に残る演奏になっていた。
音の美しさとバランスがある上で、音楽の緊張と弛緩が観客と一緒になること。
演奏する人が一方的に先走ったり、逆に聴いてる側の期待する盛り上がりより遅かったりすると空気が冷めてしまったり会場が一体にならないことが勉強になった。
音楽の流れを自然に、その上で波の満ち引きを上手くつくれるようになりたいと感じた。「時間の芸術」である音楽を作る上で、いかに時の流れを感じさせない音楽にするかについて、私はもっと研究していきたい。

 それにしても出場者の人の準備するプログラムは大変な量で、相当な期間をかけて準備してきたんだろうと想像しながら、でもそれを感じさせない演奏をする点に本当に尊敬した。審査結果については自分の想像と違う所もあったけど、コンクールの審査という中では審査員は聴衆と違う聴き方をする部分もあるだろうし、それが「コンクール」なんだろうと思ってみたりもした。
とにかく色んな面がみえたコンクールだった。

 今回ポーランドを旅して気付いたことがある。旧市街の石畳をゆく馬車のリズミカルな足音。ワジェンキ公園で耳を澄ますと聞こえる木の葉の音、遠くの鳥の声。
大聖堂で床から天井までめいっぱい響きわたるオルガンの音。
ごく自然の生活にある天然の音楽を普段から感じることが、音楽のインスピレーションに繋がるんだと思った。電車の騒音や車の音、色んな人工音で溢れすぎてる東京でそれを感じるのは難しいけれど、今回のポーランドでの数日間思い起こしながら、少しでも多くその雰囲気を心に留めておきたいと感じた。

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