夕日が傾きかける中、ヴィエリチカから北西に向かってオシフィエンシムを目指します。この町のドイツ語読みはアウシュビッツの名で世界中に知られています。当時、貨車で運ばれたユダヤ人の人々も、この景気を目にしたのでしょうか。
アウシュビッツ
現代の若者は「戦場のピアニスト」を連想するでしょうか?私は幼少の頃トイレに起きた時、たまたま点いていたテレビで観た「夜と霧」の強烈な印象を今でも鮮明に覚えています。
アウシュビッツの見学は、全ての収容者たちがくぐった最初で最後である「ARBAIT MACHT FREI」(働けば自由になる)という皮肉な文字を掲げたゲートから始まります。それにしても、あまりにも静寂に充ちた場所で自分たちの靴音以外は存在しません。収容者の最初の一週間を過ごしたベットには、藁しか敷かれていませんでした。また、銃殺で処刑された壁には、今でも花やキャンドルが捧げられ、イスラエルの国旗が翻っていました。その後、ガス室・焼却場等を廻りますが、誰しもが無言!!
それにしても「静か」です。この地が『人類の負の遺産』であると同時に『人類の巡礼の地』であることを強く心に刻まれました。