夢を奏でる。人を育てる。尚美ミュージックカレッジ専門学校

世界遺産の旅3 成澤 節(引率:ピアノ学科科長)

 夕日が傾きかける中、ヴィエリチカから北西に向かってオシフィエンシムを目指します。この町のドイツ語読みはアウシュビッツの名で世界中に知られています。当時、貨車で運ばれたユダヤ人の人々も、この景気を目にしたのでしょうか。

アウシュビッツ
 現代の若者は「戦場のピアニスト」を連想するでしょうか?私は幼少の頃トイレに起きた時、たまたま点いていたテレビで観た「夜と霧」の強烈な印象を今でも鮮明に覚えています。
アウシュビッツの見学は、全ての収容者たちがくぐった最初で最後である「ARBAIT MACHT FREI」(働けば自由になる)という皮肉な文字を掲げたゲートから始まります。それにしても、あまりにも静寂に充ちた場所で自分たちの靴音以外は存在しません。収容者の最初の一週間を過ごしたベットには、藁しか敷かれていませんでした。また、銃殺で処刑された壁には、今でも花やキャンドルが捧げられ、イスラエルの国旗が翻っていました。その後、ガス室・焼却場等を廻りますが、誰しもが無言!!
 それにしても「静か」です。この地が『人類の負の遺産』であると同時に『人類の巡礼の地』であることを強く心に刻まれました。

ビルケナウ
 第二のアウシュビッツとして一九四一年に建てられました。この引込み線の奥には線路がなく、ここが最終の地であるという絶望感と寂寥感がビデオのファインダー越しに強く訴えかけてきます。アウシュビッツ同様、もの凄い静けさと浄化された空気を五感に強く感じます。ただ、そこには過去の蛮行への憎しみ・恐怖といったものはなく、人類が何を大切にし、何を守らなくてはならないのかということを、世代を超えて普遍的な記憶として受け継ごうとするポーランドの方々の強い意志と思想を受け止めました

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