2007.07.24
ダンス学科
ニューヨークのブルックリンで育った世界的ダンサー、テリー・ライト ( Terry Wright ) 先生が来日され、この春より、SHOBI ダンス学科の先生として、ワールド・クラスの本場ダンス・シーンの風を SHOBI に吹かせてくれています。
さっそく、先生とダンスの出会いから、日本のダンス・シーンへのアドバイスなどなど、いろんなことを訊いちゃいました。
■N.Y. のブルックリン出身とお聞きしていますが、いつ頃から踊り始めたのでしょうか?
[テリー・ライト先生]
うん、ブルックリン出身だよ。踊り始めたのは、お母さんのお腹の中にいた時から。お母さんは、僕がお腹にいた間もパーティーに出かけて踊ってたんだ。
ダンスはブラック・アメリカン文化の一部だから、僕達にとってはダンスすることは普通なんだ。
■そのキッカケは何だったのでしょうか?また初めて踊ったジャンルは?
[テリー・ライト先生]
きっかけは音楽があったからかな。ジャンルは一般的に言うアフリカンアメリカンソーシャルダンス。特にジャンルや名前はなかったよ。
■その当時、憧れのダンサーはいましたか?
[テリー・ライト先生]
唯一の憧れといったら、自分が常にダンスを見てきた家族のみんなだね。
■今や世界的に有名な“テリー”ですが、ビッグ・チャンスは何だったのでしょうか?
[テリー・ライト先生]
まず自分は、世界的に有名な“テリー”って見られることより、“テリー”一個人としているよ。ビックチャンスは、自分の才能とダンスに対する愛だと思ってるけど、誰もそうゆうところには、気付いてくれないんだ。
■今までやってきたステージや仕事で、特に印象深いものについて教えてください。
[テリー・ライト先生]
きっとみんなは、僕がマライヤの仕事って言うと思ってるんだろうな。でも、違うよ。
僕は誰かの後ろで踊ることで自分の価値を決めたくないし、僕が一番好きなのは舞台や仕事で踊ることじゃないんだ。
僕が今でも印象深く残ってる思い出は N.Y. のサウンドファクトリーバーっていうナイトクラブでのサークルに初めて入って踊ったことなんだ。これが僕の生活を永遠に変えることになったんだ。
■ダンサーとして日々心掛けていることはありますか?
[テリー・ライト先生]
特にないけど、常に音楽は聴いてるよ。ハウスやヒップホップだけじゃなくて、ファンクやR&B、ロックとか、何でも聴くよ。
■ご自身の、ダンサーとしてのポリシーは何ですか?
[テリー・ライト先生]
ダンサーとしての僕のポリシーは、ダンスの地盤を作ってくれた先輩達をリスペクトしてること。
それと、音楽をちゃんと聴いて、それを自分の身体を道具にダンスで表現することだよ。
■日本のダンス界について、どんなイメージを持たれているかお聞かせください。
[テリー・ライト先生]
正直言わせてもらうと、今の日本のダンス界の状況は本当に最悪だよ。
ダンス自身はもちろん、ダンスが今ここにいたるまでの文化に対する愛も尊敬もなくて、ただの流行でファッションになってしまった様に見えるのが残念だよ。
■最後に、これからダンサーを目指す日本の若者にメッセージをお願いします。
[テリー・ライト先生]
有名ダンサーになるために踊るんじゃなくて、みんな一人一人が心からダンスが好きで踊るダンサーになってほしい。
バックダンサーになるのはゴールじゃない。才能を磨いて、誰かの後ろじゃなく、キミ自身が前に出れるダンサーになってほしい。
テリー・ライト先生のプロフィール
テリー・ライト ( Terry Wright )
ニューヨーク・ブルックリン出身。HIP-HOP ダンス界の大御所チーム Elite Force のメンバーで、世界的に名の知られるダンサー。
マライヤ・キャリー、ウィル・スミス、ホイットニー・ヒューストン、リルキム、ノトリアス BIG・・・等々、数多くのアーティストの振付やバックダンサーをこなし、HIP-HOP 発祥の地、ニューヨークのクラブ・シーンの歴史に欠かせないダンサーの一人。
日本初の試みとなるテリー・ライト先生主催パーティーが渋谷 Nuts で開催!
テリー・ライト先生プロデュースのパーティー『Homeland』
[日時] 2007 年 7 月 25 日 ( 水 ) 22:00 OPEN
[場所] 渋谷クラブ Nuts ( http://www.clubnuts.net/access/ )
[料金] 2000円 ( 1 ドリンク付 )
ファンク、ハウス、ダンスクラシック音楽で、皆を一晩中踊らせます♪
本物のパーティー志向の人、ダンス好き、音楽好きの人は絶対このイベントを逃すな!