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先生たちの素顔

普段はみられない先生の別の顔を発見!

■「先生たちの素顔」掲載一覧

これまでに登場した講師の全リストです。


井上 仁司 ミュージカル学科(2017年4月公開)
井上 まひろ 声優学科(2016年10月公開)
轟 光太郎 プロミュージシャン学科(2015年7月公開)
高松 俊 ヴォーカル学科(2013年10月公開)
滝沢 ロコ 声優学科(2013年9月公開)
大山 智 管弦打楽器学科(2013年7月公開)
大井 澄東 ポップスコンテンポラリー学科(2013年5月公開)
坂本 浩志 ポップスコンテンポラリー学科(2013年5月公開)
井上 仁司 ダンス学科(2013年5月公開)
佐々木 典子 ダンス学科(2011年6月公開)
小松 真理 アレンジ作曲学科(2011年6月公開)
佐藤 清志 音響・映像学科 (2010年7月公開)
HIDE ダンス学科 (2010年7月公開)
福冨 英明 ヴォーカル学科 (2010年7月公開)
市川 春行 アレンジ・作曲学科 (2010年7月公開)
折井 隆彦 音響・映像学科 (2010年7月公開)
長谷川 紗伊子 ヴォーカル学科 (2010年7月公開)
熱田 公紀 ピアノ学科 (2010年6月公開)
八木澤 教司 管弦打楽器学科 (2009年3月公開)
タキグチ ホクト ミュージックビジネス学科 (2008年10月公開)
広瀬 勇人 音楽総合アカデミー学科 (2008年8月公開)
近藤 剛志 音響・映像学科 (2008年6月公開)
河村 智昭 ヴォーカル学科 (2007年12月公開)
田原 アルノ 声優学科 (2007年5月公開)
寺沢 功一 プロミュージシャン学科 (2006年11月公開)
宮澤 聰宏 管弦打楽器学科 (2006年10月公開)
坂本 浩志 管弦打楽器学科 (2006年5月公開)
巻島 康一 声優学科 (2006年4月公開)
稲見 英夫 アレンジ・作曲学科 (2006年2月公開)
山崎 篤子 電子オルガン学科 (2006年1月公開)
岡野 勇仁 ピアノ学科 (2006年1月公開)
班目 加奈 管弦打楽器学科 (2006年1月公開)
河野 裕一 プロミュージシャン学科 (2005年12月公開)
岡本 忠好 ミュージックビジネス学科 (2005年12月公開)
久保田 幸生 音響・映像学科 (2005年11月公開)
武井 一仁 ダンス学科 (2005年11月公開)
野口 浩志 ミュージカル学科 (2005年11月公開)
岩田 学 アレンジ・作曲学科 (2005年10月公開)
豊島 良行 電子オルガン学科 (2005年10月公開)
成澤 節 ピアノ学科 (2005年10月公開)
オリタノボッタ 管弦打楽器学科 (2005年10月公開)
高野 正一 プロミュージシャン学科 (2005年9月公開)
越川 紀代美 ヴォーカル学科 (2005年9月公開)

※記事内容、一部講師の所属学科等は、記事公開当時のものになります。

華やかなステージには、陰で支えてくれる人がいます[自己紹介]

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高校生のみなさん、こんにちは!!
ミュージカル学科の学科長をしております、井上仁司です。
ミュージカル学科では、つい先日2年生(18期生)23名が無事卒業しました。
今は4月に入学してくる新入生(20期生)を迎えるべく、ワクワクしながら、準備の毎日です。

さて、ミュージカルの舞台やテーマパーク・パフォーマーを目指す人たちにとって、芸能界やエンターティメントの世界は、一見華やかで、きらびやかな世界ですが、実は地道な毎日の努力があってこその、自分との闘いの世界でもあります……。なんて言ったら、皆さん引いちゃうかもしれませんが……。
「人に感動を与える」とは、そういう事なんですよ。それは並大抵のことではありません。
でもね、辛いことばかりじゃありません。楽しいことは勿論、大笑いすることや、涙が止まらないほど感動することも沢山あります。
今日は僕が体験した中で今でも忘れられない「感動したこと」をみなさんにお話ししますね。

■面接で
僕がダンスのレッスンに通うようになったのは、大学3年の時、ちょうど21歳になったばかりの時でした。
深夜のアルバイトでレッスン代を稼ぎながら、寝る時間もほとんどなくレッスンに明け暮れました。
他にいいバイトないかな、なんて思いながらアルバイト情報誌のページをめくっていると「おいしい短期バイト」があったのです!
「ショー出演者募集!」
しかも、1日3時間程度、日給が¥6,000です。当時していた深夜の印刷工場では20:00~8:00まで(休憩45分)で¥5,400でしたから、急いで電話をかけ面接に行くことにしました。
尋ねた先は「着ぐるみショー」の制作会社で、デパートや遊園地での子ども向けのショー(今で言うキャラクターショー)を作っています。3時間で¥6,000もらえるなら、なんでもやってやろうと思っていたので、張り切っていました。
そして、以下面接です。
社長さん:井上さん、身体を動かしたりするのは大丈夫ですか?
僕   :はい、体操をやっていたので得意です。
社長さん:ほう、じゃあ、何かやって見せてよ。
僕   :はい......。
しかし、狭い事務所では何もできません。そこで、事務所の前の通りに出て
僕   :すいません、ここでやります!
と、ロンダートからバク転~宙返りを披露しました。窓を開けてみていた社長さんは、
社長さん:井上ちゃーん、採用!
面接ではほとんど何もしゃべらず、何も聞かず採用されました。

■正義のヒーロー
翌日です。昨日渡された地図を持って集合場所につくと、すでに会社の名前が入ったトラックが止まっていて、搬入の真っ最中です。
会場の人らしい方にあいさつし、控室に連れて行ってもらいました。そこで待っていたのは社長さんでした。
以下、控室で
社長さん:よっ、井上ちゃん。来たね。はい、これ。あとで着方を教えるから!
僕   :おはようございます。あっ、はい。お願いします。
といって渡されたのは銀色と赤に輝く卵形の重いお面のようなものです。
よく見るとそれは僕が少年の頃(今でもですが)大好きで憧れた、正義のヒーローの顔でした。彼が胸の前で右手と左手をクロスした瞬間、悪い怪獣が爆発し炎上して番組は終わります。彼の活躍を毎週テレビの前で見るのが一週間のモチベーションだった僕は、今にも飛んでいきそうな勢いでした。

■ヒーローは一日にしてならず
言われた通り、服を脱いで全身に汗止めのパウダーをまぶし、銀色に光るスーツ着ていくのですが、これが一人で着られないのです。
なんせ、背中にチャックがある為、最終的には人任せです。同じ色の膝ほどまである長靴を履く頃には、もう全身汗だくです。
そしてついに、僕の顔にマスクが装着されました。視界はご飯粒ほどしかありません。口もかろうじて隙間が空いているだけです。
それに、重い。臭い。
これから怪獣をやっつけなければいけないというのにもう、フラフラです。何が何だかわからないまま1回目は終了しました。地球上で3分しか持たないわけがよくわかりました。
2回目は何とか、段取り通りにやれたと思います。
しかし、3回目ともなると、もう体が言うことを聞きません。やっとの思いで怪獣をやっつけて、記念写真をとって、サインを書いて、ショーは終了しました。
ヘロヘロでした。帰りに近所のお風呂屋さんによりましたが、体重は4kg近く減っています。
30分のショーを1日に3回。休憩は殆どありません。控室にもどってマスクを取ってもらい、水を飲んだらまた、次が始まります。子供たちが僕を、いやヒーローの名前を呼んでいます。大変な1日でした。どうしよう、やめようか......。

■ヒーローを支える人 それから1週間後、僕はまた正義のヒーローを演じていました。
小さい穴からも周りが見えるようになり、司会のお姉さんの声も聞こるようになり、怪獣をやっつけるタイミングも良くなりました。終了後はやはりヘロヘロになりましたが慣れました。
司会のお姉さんも劇団員だそうで、やはりアルバイトで来ていたそうです。どこかでご一緒出来たらよろしくお願いしますと、挨拶し帰るとき、社長さんが、ヒーローのスーツをうら返しにして、水道できれいに洗っています。
怪獣たちは、荷台で箱に入っておとなしくしていました。他に人はいません。
手伝いましょうかと声をかけたのですが「いいんだよ」と言って笑っていました。
司会のお姉さんに教えてもらったのですが、たった一人で会社から怪獣たちやヒーローを積み込んで、現場で怪獣を演じて、そして終わったら会社に戻って荷物を降ろして終わりだそうです。大変だなぁと思いました。
3日目にもなると、少しですが余裕もできてきました。が、やはり終わるころにはヘロヘロです。でも、社長さんは、丁寧に怪獣たちを積み込み、ヒーローのスーツを洗っています。
僕   :お疲れ様でした。自分、替わります。
社長さん:いいんだよ。仕事だから。
と、笑いながら言いました。
社長さんが言うには、こういったメンテナンス作業をしている時が一番楽しいそうです。
そして、その日の子供たちが喜んでくれたことを思い出しながら、頑張った怪獣やスーツに感謝をこめてメンテナンスするんだそうです。
その時なんか鼻の奥がツーンとなって、泣きそうになったこと覚えています。

■我々にも言えること
いま、この年齢になって社長さんの「いいんだよ」の意味が何となく分かるようになりました。
一見華やかな舞台やステージも一人では何もできません。陰で支えてくれているスタッフの力があります。もちろん仕事ですが、そこには舞台に立つ人たちと同様に、同じ喜びを感じているはずです。
芸能界やエンターティメントの世界は大変厳しいですが、それを支えてくれる人たちがいるのです。
夢に向かって進んでいこうと決めたときに、やはり、不安になることもあると思いますが、勇気をもって一歩進んでください。皆さんにも応援してくれている人たちがいるはずです。
そして、夢のステージに立った時も決して一人ではありません!
安心して尚美に入学してきてください、尚美の先生方はみなさんを応援しています!
そして学んだことを胸に飛び立ってくださいね!!

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新たなスタートを切る18期生たちと!



プロフィール
井上仁司
ミュージカル学科 学科長
THE AMERICAN DANCE MACHINEでシアターダンスを学び、国内のブロードウェイミュージカルやオリジナル作品に約50本出演。そのほとんどでダンスキャプテンを務める。現在、劇団四季をはじめ舞踊講師、インストラクター、振付師としても多くの作品に参加。これまで培った技術と理論でワークショップを展開。ダンサーのみならず、俳優のためのダンス表現やコンディションの整え方を伝授。


<2017年4月5日公開>

実は私、SHOBI声優学科の1期生だったんです!

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◆ごあいさつ◆

みなさん、おはようございます!声優学科の井上まひろです。
現在、声優学科で1年生の「スタジオワーク」の授業担当と、2年生のクラス担任をしております。
私はSHOBIとは縁が深く、SHOBI声優学科の1期生としてもお世話になっておりました。
来年度の新入生が20期生ですので、もう20年前に入学した、ということで、月日が経つのは早いなあ…と感じております。

◆20年前の声優学科◆

OCスタッフ02.jpgその当時からSHOBI声優学科の授業は少人数制で、先生方がひとりひとりに、とにかく熱い指導をしてくださっておりました。
また、他学科とのコラボイベントや内部・外部のお仕事依頼がたくさんあって、授業の自主稽古をやってイベントの稽古をして、外部のお仕事の打ち合わせをして……と毎日が本っっ当に充実しておりました。
週末や長期休みになると、オープンカレッジのスタッフとしても活動しておりました。
授業や学科イベントはもちろんのこと、オープンカレッジでの様々な経験が自分をとても成長させてくれたと思っております。
先生方や先輩から、スタッフとしてのアドバイス、また声優・役者になるための知識を本当にたくさん学ぶことができました。

しかし、当時のオープンカレッジのスタッフは、成績優秀者の選抜メンバーでした。参加者にアテレコの見本を見せる、という仕事があったからです。不器用だった私は、その選抜メンバーには、いつも入れませんでした。
でも、どーしてもやりたくて、「必死に頑張りますので!!」と担任の先生に毎日アタックして、アタックして、猛烈にアタックして…やっとスタッフをやらせてもらいました。今思えば、先生を大変困らせてしまっていたと思います(笑)

このオープンカレッジですが、私も入学する前には、何度も参加させてもらいました。
オープンカレッジで谷育子先生がレッスンをやって下さっていて、それが楽しみでした。そこで同じ目標を持つ人とたくさん出会えて、とにかく嬉しかったのを覚えています。その頃から一緒に学んだ同級生とは、今でも仲良く飲みにいっております(^^)

ただ楽しいだけでなく、辛いことや悩みにぶつかったこともありました。演技の稽古でうまくいかなかったり、友人と喧嘩をしたり、オーディションに受からなかったり…。
ですが、先生方に頂いた愛のムチとメッセージは、いまでも自分の中に宝物のように残っています。
お世話になりました先生方、本当にありがとうございました!!

◆趣味の話◆

肉と井上.jpgさて、素顔の自分とのことで……私の趣味について少しお話しようと思います。 趣味はなんですか?と聞かれると「多趣味で言い切れません!」といつも言っているのですが……一番の趣味は、美味しいお酒を飲んで、美味しいご飯を食べること!です(笑)
幸い、同じ趣味の友人がたくさんおりますので、日々楽しく飲み食べをしております。
以前は、お酒ならなんでも好きだったのですが、最近はワインが好きで、よく行くのはイタリアンやスペイン料理のお店になりました。
「BARによく行くんです」なんて言うと敷居が高く、オシャレさんのようですが、現在では、安く気軽に行けるBARやバルもたくさんあります。

私は、スポーツ観戦も好きで、なかでもサッカー観戦が好きなので、スポーツバーにもよく行っています。日本代表戦の時に行くと、みんなで一緒になって応援できるのでとっても楽しいです!スタジアムに行くと、お酒を飲みながら…とはいきませんので、やはりバル最高です♪

井上・バイク.JPG最近はめっきり行けていませんが、天気の良い日にツーリングに行くのも楽しみの一つです。
美味しいパンケーキを目指して秩父に行ったり、美味しいお蕎麦を目指して長野に行ったり…やっぱり目的は食になってしまいましたね(笑)
北海道旅行の間に、バイクを借りてツーリングしたときは、広大な美しい景色をバックに風を切って最高の気分でした。

井上inイタリア.JPGそれから、旅行も大好きです。今までに、夜行列車に乗って出雲大社にお参りに行ったり、イタリアに行ったりしました。写真は、そのイタリア旅行のときのものです。時間があるときは、旅行の計画をしております(笑)
両親も旅行が大好きなので、これからもどんどん親孝行と称して、旅に連れ出したいと思っています。


◆最後に◆

他にもたくさんあるのですが、今回はここまでにしておきます。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございます!

学内、学外、どんなところでも、私を見かけたら、ぜひ声をかけて下さいね♪(*^^*)
 



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プロフィール
井上 まひろ
声優学科専任講師

プロダクション・エース所属。尚美声優学科1期生。海外ドラマ・映画などの吹き替え、ヴォイスオーバーなど、声の仕事で活動中。出演作にニュースルーム、Dr.HOUSE、CSI:ニューヨーク、スターゲイト・アトランティス(吹き替え)。サザエさん、アイアンマン・ザ・アドベンチャー、ANOTHER(アニメ)など。落ち着いた声と、朗読ワークショップ主催の経験を活かし、朗読やナレーションの仕事にも携わっている。


[記事公開日:2016年10月]

映画に一番近い芸術は、音楽である。

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みなさんこんにちは!

轟 光太郎と申します。学校ではプロミュージシャン学科1年の担任、作詞とプレゼンテーションの授業を担当しています。
学校でのお仕事をする前は新人ミュージシャンの発掘、
育成のお仕事をしていました。

今回は『先生たちの素顔』ということなので、
趣味の映画観賞のお話でもしたいと思います。

IMG_6744.JPG 私はお休みの日はほぼ映画館に足を運ぶほどの映画好きです。(年間200本は観ます!)

特にエンタテインメントの世界に興味を持つきっかけになったのが、スティーブン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」でした。
「ジュラシック・パーク?ただの恐竜映画じゃん」と思うかもしれませんが、一見そう見える映画も深く知ると、どの作品にもちゃんとしたテーマがあるのです。
「ジュラシック・パーク」には古生物学者のグラント博士という主人公が登場します。
彼は恐竜のことしか考えておらず、子供嫌いで結婚もしたくない男。
そんな彼がパーク内の事件をきっかけに子供たちと恐竜から逃げなくてはならなくなります。そこで親代わりとなり「大人になれない大人」が本当の大人に「進化」するというテーマがあるのです。
ちなみにスピルバーグの映画にはこのような「大人になれない大人」がよく登場します。

IMG_4045t.JPG私の作詞の授業では歌詞を書く以外にも、音楽を聴き、映画を観たりして作者にどんな想いがあるのかを学生のみなさんと探ったりします。
それはまず自分が作者側の立場に立つという意味合いがあります。
ちょっと堅苦しくなってしまいましたが、何か作品を鑑賞する際にみなさんも作品の意図を探るとおもしろいと思いますよ!


最後に、学生にもおすすめの映画をよく聞かれるので、個人的に思い入れのある作品をご紹介したいと思います。

<JAWS> (1975)
スティーブン・スピルバーグ 監督作品
巨大なホオジロザメが田舎の港町を襲う動物パニック映画のスタンダードを作った作品。
この時、スピルバーグは若干28歳でした。
小学6年生の臨海学校前日にタイミング悪く鑑賞してしまい、海に入るのが怖くなったトラウマ映画です。ジョン・ウィリアムズのあまりにも有名な音楽も、
その後のホラー映画やパロディのスタンダードになりましたね。


<ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ> (1984)
セルジオ・レオーネ 監督作品
1930年 禁酒時代のニューヨークで育った2人のギャングの友情と生涯を描いた大作。
人生を描く作品にはいつも惹かれます。
クライマックスにはとあるロックの名曲が流れ、優美なエンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしいです。


<ゴジラVSビオランテ> (1989)
大森一樹 監督作品
ゴジラと薔薇の怪獣が戦います。
ドラゴンクエストで有名なすぎやまこういちの音楽とアクション映画のテンポ感がマッチした良作で、映画館に通うきっかけをつくってくれた作品です。


<レナードの朝> (1990)
ベニー・マーシャル 監督作品
実話が元になっているパーキンソン病を扱った、人間の幸せのかたちを考えさせられる作品です。この映画でロバート・デ・ニーロ信者になってしまいました。
ピクサー映画で活躍するランディ・ニューマンのピアノメインのスコアに涙腺が刺激されます。


<青春デンデケデケデケ> (1992)
大林宣彦 監督作品
1965年 香川県の高校生がロックに目覚める青春映画。
ファンタジーテイストの作品ですが、高校生ロックバンドの描き方はリアルで、
そこに自分を投影して何度も観た記憶があります。
全編に流れる軽快なベンチャーズサウンド、切ないシーンに流れる久石譲の音楽のバランスが絶妙でした。


<パシフィック・リム> (2013)
ギレルモ・デル・トロ 監督作品
日本のアニメ、特撮文化で育った、日本人より日本人かもしれない監督のロボットVS怪獣のSF大作。7回映画館で観ました。
ここまで日本をリスペクトしている映画はないと思います。
メインテーマの印象的なギターリフをプレイしているのはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロ。


※「映画に一番近い芸術は、音楽である。」というタイトルは故 黒澤 明監督の名言です。
その意とは...!?
 



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プロフィール
轟 光太郎

プロミュージシャン学科専任講師

高校卒業後、会社勤務を経て株式会社ヤマハミュージックパブリッシングに入社。関東東北地区の高等学校軽音部の大会審査員を9年にわたり行い、のべ3000バンド以上を試聴審査した。同時にヤマハミュージックレボリューションの審査も手掛け、高校生やティーンエイジに対する知名度は抜群である。

 

私の音楽遍歴

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こんにちは、ヴォーカル学科の高松俊です。レコーディングやプレゼンテーションの授業、ヴォーカル学科2年生の担任をしています。
今回は私の音楽とのかかわりの歴史を軽く紹介してみたいと思います。

131001_03.JPG小学生時代は年の離れた姉と兄がどっぷりビートルズ世代だったこともあって家の中で一日中ビートルズがヘビーローテーション状態でした。この頃ポップミュージックの根本が無意識にインプットされたのかもしれません。中学生になると俄然エレクトリックギターに興味を持ち始めつつ、エルトン・ジョンやニール・ヤング、レオン・ラッセルなどの個性的なヴォーカリストに引き込まれ、新譜の発売日が楽しみでした。
高校生時代は当時の定番だったツェッペリンやクラプトンのコピーバンドを結成してコンサート開いたり、文化祭で盛り上がったりして典型的なバンドマン青春時代を過ごしました。
この時のバンドのメンバーは今でもミュージシャンとして活躍してるやつもいます。ちなみに今や大御所アレンジャーとして名声を得ている清水信之や兄貴のパーカッションプレイヤー、マック清水もメンバーでした。

131001_04.jpg地元が湘南で高校も海辺にあり、教室の窓から海と江の島と富士山が一望できる環境だったこともあり、すっかりアホになって自由人としての性格を確立し、好きな音楽で仕事していきたいなどと思うようになってしまいました。
大学は音楽とは全く関係のない法学部に進学しましたが、昼間は波乗り、夜はバンド活動という生活であまり学校に行かなかったので単位取得はぎりぎりでした。学生に偉そうなことは言えません。この頃は学外のプロの人たちとバンド活動をしていて、ライブハウスや米軍基地でのライブ活動、スタジオレコーディング、時にはデパートの屋上で着ぐるみを着て子供向けショーをやったりもしていました。ちなみに、私がSHOBIに来た時、講師一覧を見てたら、当時一緒にそのバンドでやっていたキーボードプレイヤーがプロミュージシャン学科で先生をしていてびっくり、数十年ぶりに再会して盛り上がってSHOBIの近くにあるインド料理マリカにカレー食べに行きました。

131001_05.JPGギタリストとして影響を受けた音楽は、クラプトンから始まってブルースギターにどっぷり、そしてオールマン・ブラザースやリトル・フィートでスライドギターに開眼、その後ジャズのエッセンスにしびれてスティーリー・ダン後期のラリー・カールトンあたりがアイドルでした。ギタリストの人はぜひスティーリー・ダンのThe Royal Scam(幻想の摩天楼)というアルバムを聴きましょう。今でも凄さを感じるギタープレイ満載です。ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーのストラトサウンドも大好きです。その当時兄に借金して手に入れた1955年のストラトキャスターはまさに宝物でした。

大学卒業後は、音楽の夢が捨てきれずにレコード会社に就職し、プロの音楽との長い長い付き合いが始まります。新人からビッグアーティストまで様々なミュージシャンとの出会い、そして音源制作の共同作業は、クリエイティヴな仕事特有の感動や喜びをたくさん味わせてもらいました。何か月間も全身全霊を傾けて細部にこだわりまくってやっと完成させたアルバムを、マスタリング時に最高の音質で通して聴くときは、毎回心の底から感動します。そしてその音源が世に出てだんだんと多くの人に愛されていく過程をコンサートとかで実感すると、もうこの仕事は病みつきです。CDバカ売れの音楽業界バブルの時期でもあり、現在では考えられないような大きな予算で動いていたので、あこがれのレコーディングスタジオで世界的エンジニアやミュージシャンと最先端の仕事ができたのは本当に幸せでした。鈴木聖美さんのデュエット・アルバムでのマイケル・マクドナルドやピーボ・ブライソン、ゴスペルのグラミー・ウィナーでもあるワイナンズとのセッションや、ロンドン郊外のピーター・ガブリエルのスタジオやLAのジャクソン・ブラウンのスタジオでの作業では多くのことを学びました。どこの国でも一流の音楽バカは同タイプの人間が多く、フレンドリーで感覚的で最高の連中ばかりでした。アメリカでもイギリスでもアイルランドでも音楽用語は世界共通だし、カッコイイと思う感性のセンスも一緒でした。
ドリカムのレコーディング時は東京でリズム録り、ロンドンでダビング、バハマで歌入れ、NYでミックス・・みたいな感じでほとんど海外で過ごしてました。
歌入れだけのために1か月間バハマのコンパス・ポイントという伝説のスタジオに行ったり、最高の音楽を作るために、スタジオ、ミュージシャン、エンジニアから食事や宿泊施設すべて最高の制作環境を準備して作業に没頭していました。とんでもない制作費がかかっても作品が売れれば問題ないじゃん。そういう時代でした。

131001_07.jpg しかし、逆に言えば音楽業界での音楽の価値は売上だけです。どんなに高度なことをやっていても売れなければ何の価値も認められません。
その辺の違和感を感じながら仕事してましたが、インターネットやSNSの普及とともにCDが売れなくなり、レコード会社の時代が終わりつつあるのを感じ、もう一度原点に戻ってピュアな音楽制作の気持ちを取り戻したいなと思って音楽専門学校にやってきました。正解でした。
純粋に音楽好きな学生とのコミュニケーションは楽しく、あらためて音楽の素晴らしさを実感しています。長い音楽業界での経験から得た知識や音楽のもついろんな力や音楽の深さ、素晴らしさを学生たちに正しく伝えていければなと思っています。

ポップミュージックの原点でもある60~70年代のロックンロールの名曲を若い世代に伝えるために(本当は自分が楽しいからですが)バンド活動もしています。EMIミュージック時代の同僚、先輩がメンバーの典型的オヤジバンドで、年に2回くらいライブをやります。前回のワンマンは動員100名を超えました。やっぱり音楽は自分で音を出すのが一番楽しいですね。でももちろん最終的にはSHOBIから素晴らしい新人アーティストを世に送り出すのが自分の仕事だと思っています。
 


130917_01.jpgプロフィール
高松 俊

ヴォーカル学科専任講師
バンドでのギタリストとして音楽業界のキャリアをスタート。その後、コロムビア、ワーナー、東芝EMIのメジャーレコード会社3社で制作ディレクターとして多数のアーティストを担当する。新人のデビューからDREAMS COME TRUEまで60数作品を制作、総合チャート1位獲得等ヒット実績多数。宣伝やマーケティング、マネージメントも含めて音楽産業中心部での経験豊富。


 

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